ドラ1指名は確実だったが…プロ入りを拒否したドラフト“超目玉選手”のその後

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「プロへは絶対行きません」

 プロ野球のドラフト会議がいよいよ10月20日に開かれる。ドラフト会議といえば、過去にはプロ入りを表明すれば、1位指名間違いなしだったはずなのに、さまざまな理由からプロの誘いを蹴った選手がいた。【久保田龍雄/ライター】

 1971年のドラフトの超目玉でありながら、プロ入りを拒否したのが、慶応大のスラッガー・松下勝実である。

 東京六大学の通算打率.359、7本塁打、31盗塁、首位打者2回と人気、実力ともナンバーワンだった松下は、ドラフト前に「松下幸之助さん(松下電器産業創業者)の自伝を読んで、心の大きさに惹かれた。だから、その下で勉強したいんです。野球はノンプロで楽しくやっていきます。プロへは絶対行きません」と宣言し、松下電器(現・パナソニックホールディングス)への就職を決めた。

 当時ドラフトで指名される可能性のある大学生は、ドラフト当日に神宮球場に集まるという決まりがあったが、松下はそれも「大阪で知人と会う約束があるから」と断った。

 これほど頑なに拒否されると、さすがに指名する球団はなく、11月19日のドラフト会議で、松下の名前は最後まで呼ばれることはなかった。それでも、当時は「ドラフト外」での獲得が可能とあって、ドラフト後に阪神、巨人、ロッテ、ヤクルトなどが相次いで水面下で動き出した。

 しかし、「ウチにはワンちゃん(王貞治)がいて(ポジションが重なるから)ダメだということだった」(巨人・沢田幸夫スカウト)、「手を加えれば良くなるが、野球に対する情熱が薄いようだ」(ロッテ・濃人渉スカウト)といった具合に色よい返事を貰えず、獲得はあきらめざるを得なかった。

 早稲田大出身の三塁手・荒川堯とともに“フレッシュ六大学コンビ”として売り出そうと最後まで食い下がったヤクルトも、荒川自ら使者を務める作戦も功を奏さず、ついに獲得断念。六大学の強打者は、最後まで「堅実な社会人の道を歩む」の初志を貫き通した。

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