「中森明菜の真実」の著者が語る「少女A」「難破船」秘話 時任三郎と加藤登紀子の重要な役割

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 1980年代、数多くのヒット曲を世に送り、日本のポピュラー音楽で一時代を築いた中森明菜(57)。芸能ジャーナリストの渡邉裕二氏が、82年5月のデビューから7年にわたる彼女の活動に焦点をあてた『中森明菜の真実』(MdN新書)を10月に出版した。いわゆる暴露本ではなく、彼女の実像を知ることができる労作だ。

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 明菜は、オーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)に出演、番組史上最高得点で予選を合格。1981年12月、同番組の決戦大会で11社のレコード会社や芸能プロダクションから指名されたことを機にデビューした。

 デビュー曲は、バラードの「スローモーション」。オリコンのシングル・チャート初登場で58位と今一つだった。

「少女A」を選んだ時任三郎

「中森明菜の出世作は、セカンド・シングルの『少女A』です」

 と語るのは、渡邊氏。

「当初、セカンド・シングルに『あなたのポートレート』というバラード曲が用意されていました。もっとも、ツッパった10代の少女を描いた『少女A』にすべきだという意見が宣伝担当者から出て、所属のレコード会社は迷っていました」

 実は、明菜は「少女A」をあまり好きではなかった。歌詞に自分と重なる部分が少なくなったからだ。

「当時、俳優の時任三郎が明菜と同じレコード会社から歌手デビューしていました。そこでプロモーターが楽屋で時任に『あなたのポートレート』と『少女A』を聞かせて、どちらの曲がいいか意見を求めたそうです。すると彼は、どちらもいい曲だし、明菜の魅力を表現するにはピッタリと言いながら、どちらかといったら『少女A』の方だろうねと言ったといいます。それで決まりました」

 この選択がズバリ当たった。結局、「あなたのポートレート」は、ファースト・アルバム「プロローグ<序幕>」に収録された。「少女A」で明菜の認知度がいっきに上がり、評価も高まった。

 そして、サード・シングル「セカンド・ラブ」はオリコンチャートで初の1位となり、大ヒットした。

「明菜は、デビュー当初から他のアイドルと比べて歌唱力が突出していました。しかも、情感表現も豊かだった。彼女は完璧主義なところがあって、妥協を許さなかった。そのためスタッフを怒鳴りつけることもあったといいます」

 その後も、「1/2の神話」「トワイライト‐夕暮れ便り‐」「禁区」と、次々とヒットを飛ばしていった。

「次第にコンサートでの選曲や振付、衣装にも自分の意見を言うようになったそうです。アイドルというよりアーティストでした。そんな彼女にほれ込んだのが、シンガーソングライターの井上陽水です。彼は、10枚目のシングル『飾りじゃないのよ涙は』を提供し、オリコンチャートでも1位を獲得。この曲を収録した陽水のアルバムも大ヒットしました」

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