1年で3度も栄誉を手にした巨人の“幸運児”も…異色の胴上げ投手列伝

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手術から復帰直後の栄誉

 優勝が決定した瞬間、マウンドにいた投手を胴上げ投手と呼ぶのは、ご存じのとおりだ。投手の誰もが1度は経験してみたいと夢見ているが、その称号を手にするのは、必ずしもエースや守護神とは限らない。運命的なめぐり合わせで、優勝決定の瞬間をマウンドで迎えた“幸運児”たちを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

 たった1回でも実現するのが難しいとされる胴上げ投手なのに、1年のうちに2度も胴上げ投手になり、優勝決定試合で完投勝利を記録したラッキーボーイが、巨人・宮本和知である。

 1989年、前年肘の手術を受けた宮本は、リハビリを経て6月に1軍に復帰すると、9月までに4勝を挙げ、貴重な左腕としてチームの首位独走に貢献する。

 そして、10月6日の大洋戦、先発・宮本は5安打8奪三振完封で5勝目を挙げ、プロ5年目にして初の胴上げ投手になった。

 肘の手術直後は、「もうダメかも」と引退も覚悟していた宮本だったが、手術から1年も経たないうちに投手として最高の栄誉に浴するのだから、人間の運命はどうなるか本当にわからない。

「あのまま終わりたくなかった」

 崖っぷちから這い上がってきた不屈の男は「僕みたいな者が胴上げ投手になるなんて、ほかの1年間頑張ってきた投手に悪い気がして」と照れながらも、まんざらでもなさそうだった。

 さらに幸運は続く。10月29日の近鉄との日本シリーズ第7戦、7対2とリードの6回から香田勲男をリリーフした宮本は3点を失ったが、9回まで投げ切り、再び胴上げ投手に。第3戦で3回3失点KOされていた宮本は、3連敗から4連勝というミラクルを完結させるとともにリベンジも達成。「あのまま終わりたくなかった。リーグ優勝のときより、今日の優勝の瞬間は最高にうれしかった」と感激に浸った。

 だが、話はそれだけでは終わらなかった。翌90年、優勝マジックを2とした9月8日のヤクルト戦に先発した宮本は、6回に自らタイムリーを放つなど、延長10回まで2失点の力投。10回裏、吉村禎章の右越えサヨナラ弾が飛び出し、完投勝利の13勝目で2リーグ制以降最速となるリーグ優勝に花を添えた。

 サヨナラ勝ちの場合は、正確には胴上げ投手と呼ばれないものの、わずか1年のうちに3度も栄誉を手にしたラッキーボーイは「サヨナラであまりピンとこないけど、やっぱりうれしい」と会心の笑顔を見せた。

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