「リブゴルフ」は世界ランキングの対象になれるのか 創設者ノーマンの悲運を振り返る

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世界ランキング創設の背景

 偶然か、必然か、それとも運命の悪戯か。その1986年は、ゴルフ界にとっても「忘れがたき年」となった。

 70年代後半から80年代にかけてゴルフ界には、スペインのセベ・バレステロス(1957~2011)や西ドイツ(当時)のベルンハルト・ランガー(65)といった米国人以外の外国人選手が次々に台頭。ノーマンは、そんな威勢のいい外国人勢の筆頭だった。しかし、当時のゴルフ界には、各ツアーの賞金ランキング以外に選手の強さを示すものはなく、米国人選手と外国人選手の強さを正しく示す世界統一の指標の必要性が浮上した。そこで創設されたのが、現在の世界ランキングの前身となったソニー・ランキングだった。いわば、世界ランキングはノーマンら外国人選手のために創設されたようなものだったのだ。

 そしてソニー・ランキングは、ノーマンがニクラスに惜敗した、あの1986年のマスターズから始動した。

 それから36年後の今年7月、ノーマンは自身が立ち上げたリブゴルフが世界ランキングの対象ツアーとして承認されるべく、OWGR(オフィシャル・ワールド・ゴルフ・ランキング)に正式に申請を提出した。

 リブゴルフの大会で世界ランキングのポイントが稼げるか否かは、選手たちの今後のメジャー大会出場に直接的に関わってくる。マスターズと全英オープンはトップ50、全米オープンはトップ60、全米プロはトップ100以内を維持していなければ、出場の道は閉ざされる。

「世界のトッププレーヤーが多数集まっているリブゴルフが世界ランキングの対象ツアーに含まれなかったら、もはや世界ランキングは正しい評価にはなり得ず、やがて崩壊することだろう」とノーマンは声を大にして叫んでいるが、申請の結果はなかなか出されず、ノーマンもリブゴルフ選手たちも、日々、焦燥感を強めている。

 ノーマンらのために創設された世界ランキングが、今、ノーマンが創設したリブゴルフの苦悩の種となっていることは、運命の皮肉、いや、運命の残酷な悪戯のようにも感じられる。

なかなか勝てない

 あらためてノーマンの歩みを振り返ると、「3ラウンド・プレーヤー」「サタデー・スラム」などと呼ばれた彼は、1986年以後も何度も悲運に遭遇した。

 1996年マスターズは、その典型だ。2位に6打差の単独首位で3日目を終えたノーマンは、しかし最終日は78と崩れ、メジャー大会で8度目の2位に甘んじた。

 落胆が大きすぎたせいだったのだろう。逆転勝利したニック・ファルド(65)に体を支えられながら、ヨタヨタと歩いたノーマンの悲しげな背中の曲がり具合が、私の脳裏に今でも焼き付いている。

 マスターズ惜敗と前後して、ノーマンは参加者をメジャー優勝者に限定する新ツアー構想を提唱。テレビの放映権契約も内定を取り付け、彼の構想は実現に向かって突き進んでいた。しかし、当時のゴルフ界の「主勢力」によって阻止され、実現寸前で消滅。その様子は、54ホールまでは輝いていながら最終日に崩れ去ったノーマンとどこか似ているように感じられた。

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