エリザベス女王が1975年に来日した際、昭和天皇の前で語ったこと 大先輩に人生相談?

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激動の昭和史

「歴史上の君主と比較しても、昭和天皇ほど激動の人生を歩んだ人は、そうはいないでしょう。戦争回避を切望したものの、5・15事件、2・26事件とクーデター未遂が続き、日本は第二次世界大戦に突入。敗戦で国土は焼け野原になりましたが、奇跡的な復興を成し遂げた。昭和天皇は、数々の“修羅場”をくぐってきたんです。海外の要人には、一種の凄みを帯びて映ったのかもしれませんね」(同・徳本氏)

 エリザベス女王と昭和天皇の人生には、不思議なことに共通点が少なくない。昭和天皇も25歳の時に践祚(せんそ)。共に第二次世界大戦を経験し、国民の敬愛を集め、長寿に恵まれた。

「相違点にも興味をそそられます。年齢差は先に見た通りですが、昭和天皇は敗戦国の、そしてエリザベス女王は戦勝国の立憲君主。日本の皇室はイギリスの王室を手本にしてきたという長い歴史もあります。共に先輩の面と後輩の面があった。そんな2人が対面し、胸襟を開いて語り合う。それだけでもドラマチックな歴史的瞬間だと言えるでしょう」(同・徳本氏)

 敗戦時は、昭和天皇を戦犯とする動きもあった。だが、最終的には戦争責任を問われることはなく、象徴天皇制は日本人の精神的支柱となった──こうした皇室の歴史にも、エリザベス女王は関心を持っていた可能性があるという。

昭和天皇の“反省”

「イギリス外務省が機密指定を解除した対日外交文書を読み込んだことがあります。そこから、イギリスが戦後、天皇制の維持に注目し、昭和天皇が世界情勢の正確な情報を把握する必要性を、極めて重要視していたことを知りました」(同・徳本氏)

 戦前から戦中の昭和天皇に、戦況や国際情勢の正確な情報が届けられていなかったのは、多くの証言が残されている。

「それこそが、日本が無謀な戦争に突入した原因の一つだとイギリスは考えていたのです。立憲君主とは、単にハンコを押すだけの存在ではないと。こうした分析は、当然ながら女王も共有していたでしょう」(同・徳本氏)

 もちろん昭和天皇も、情報から遮断されたことを大きな反省点として受け止めた。だからこそ戦後は、共産主義の動向など国際情勢で、海外の要人と突っ込んだ情報交換を行っていた。

 そんな2人が、君主とはどうあるべきかについて話し合った。残念ながら、エリザベス女王の“人生相談”に、昭和天皇が何とアドバイスしたのかは記録が残っていない。

 そして徳本氏がテープを聞いていると、図らずもエリザベス女王らしいユーモアのセンスも垣間見えたという。

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