コロナ直撃の鉄道とホテルの新たなビジネスモデル――後藤高志(西武ホールディングス社長)【佐藤優の頂上対決】

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 テレワークや移動忌避で乗客が大きく減った鉄道事業と、観光自粛で需要が蒸発したホテル事業。これらを2本柱とする西武HDは、コロナ禍が過ぎ去っても以前の水準には戻らないと考え、ビジネスのあり方を根本から組み立て直した。百戦錬磨の経営者が打ち出した次代に向けての戦略とは。

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佐藤 私は埼玉県の大宮育ちで、小学生の頃に西武線が秩父まで延伸したことは強く印象に残っています。確か「西武で秩父へ」という広告があちこちにありました。

後藤 1969年のことですね。

佐藤 同じ県内でも、それまで秩父は非常に遠い場所でした。大宮からは熊谷まで行って秩父鉄道に乗るしかなく、日帰り旅行が難しかった。

後藤 私もよく覚えていますよ。私は東京・三田生まれで、幼い頃に西武新宿線の鷺ノ宮に引っ越し、以後は西武新宿線界隈で育ちました。当時、西武池袋線は吾野(あがの)までです。そこに西武秩父線ができて、一気に近くなった。だから秩父にはとても愛着があって、社長になってから「秩父には山手線から一番近い国立公園がある」と、ずっと言い続けています。いまは特急で池袋から80分です。

佐藤 武甲山(ぶこうさん)や三峰山(みつみねさん)は絶景です。

後藤 パワースポットですしね。また、秩父の街並みも趣がありますが、名所が点在しているのもいい。ちょっと離れて長瀞(ながとろ)がありますし、小鹿野(おがの)町もあります。

佐藤 旧大滝村の三峯神社も離れています。

後藤 だから行けば行くほど、味わい深く感じられます。また西武という鉄道会社にとっても、秩父には格別の思い入れがあります。1970年に池袋と秩父を結ぶ特急「レッドアロー」が、年に1回、鉄道友の会の選考委員が審議して最優秀と認めた車両を表彰するブルーリボン賞を受賞しました。それから50年後に、同じ区間を走る特急「ラビュー」が受賞しているんです。

佐藤 なるほど、秩父は場所にも電車にも愛着がある。そうした地域との愛着や密着感は西武グループの特徴かもしれませんね。所沢という土地にも、それを強く感じます。

後藤 所沢は歴史も文化もある場所ですが、西武グループにとっても、なくてはならない土地ですね。特に西武鉄道では、池袋線と新宿線の結節点になります。埼玉西武ライオンズの本拠地であるベルーナドームがありますし、西武園ゆうえんちもある。もともと池袋にあった西武鉄道の本社も、いまは所沢です。

佐藤 所沢は、西武の城下町と言ってもいい。

後藤 ここ数年、所沢駅の東側、西側と再開発を進めてきました。これまで東京へ通勤する「ベッドタウン」だった街から、「暮らす・働く・学ぶ・遊ぶ」が一体化した「リビングタウン」にすべく計画を進めています。これまで「暮らす」「学ぶ」はありましたが、そこに「働く」と「遊ぶ」を加えていく。

佐藤 角川グループも「ところざわサクラタウン」を作って機能の大部分を移し、多くの人が働くようになりました。

後藤 サクラタウンは最寄り駅がJRの東所沢駅になりますが、角川さんが志を持って所沢に移ってこられたのは大歓迎です。これからしっかり手を組んで所沢を盛り上げていきたいと思っています。

佐藤 埼玉県民のアイデンティティーの形成において、西武は大きな役割を果たしている気がします。映画「翔んで埼玉」では非常にデフォルメされていますが、埼玉県民は元県民の私も含め、非常に地元愛が強いんですよ。

後藤 あの映画は必見ですね。東京から迫害を受けていた埼玉県民が立ち上がって東京に攻め込むという実に痛快な話でした。あの中で最初に立ち上がるのが所沢です。

佐藤 そうでしたね。

後藤 西武グループは地域密着を掲げていますから、住民の地元への思いを大切にしています。2007年に西武ライオンズが、アマチュア選手に対する不適切なやり取りで大きな問題になったことがありました。その時、球団の改革にあたり、外部の方からもさまざまなご意見をいただいたのですが、そこで西武グループが地域密着を掲げるなら、「埼玉」という名前を尊重すべきではないかという話が出てきたんです。それで「埼玉」を冠して「埼玉西武ライオンズ」になったんですね。

佐藤 この時に変わったのですか。

後藤 はい。ただ内部からも外部からもやや反対がありました。西武鉄道は埼玉県だけを走っているわけではないし、プリンスホテルは全国展開しているじゃないか、と。それはその通りですが、やはり西武ライオンズはグループのシンボルですし、地域密着のメッセージを伝える絶好の機会になる。それで最終的には「埼玉西武ライオンズ」に決めました。

佐藤 なるほど、そうした経緯があったのですね。

後藤 それまで西武ライオンズは、所沢を中心とした埼玉県西部で主なファン層を形成していましたが、「埼玉西武ライオンズ」になると、大宮や東部にも広がっていった。

佐藤 私は昨年まで埼玉県立浦和高校でも教えていましたが、多くの教師と生徒がライオンズファンでしたよ。

後藤 ある意味で埼玉県民の心の琴線に触れた。潜在的にあった埼玉県民の誇りや愛着をうまく引き出せたのかもしれません。

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