インタビュー中に号泣 熊切あさ美が今でも恩人と語る意外な人物とは?

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 熊切あさ美(42)はなんだか不思議な人である。「崖っぷちアイドル」と呼ばれたこともあったが、その崖からはなかなか落ちない。2020年に発売された写真集「Bare Self」をきっかけに、現在はバラエティー番組への出演も増え、第4次ブームが到来中なのだそうだ。そんな不死鳥タレントが辛かったという崖っぷち時代のエピソード、さらに破局時を救ってくれた意外な恩人について明かしてくれた。【徳重龍徳/ライター】

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 熊切は1998年、アイドルグループ「チェキッ娘」としてデビューし、グループ卒業後はソロのタレントとなるも、やがて仕事が減少し、事務所に黙って仙台のキャバクラで働いたこともある。当時は熊切あさ美とバレそうになると「双子なんです」と言って誤魔化したそうだ。

 これまでセクシー女優への転身もメディアにたびたび報じられてきたが「芸能界に入るときの親との約束がある」とその可能性はゼロだという。

「昔、『次に出演するのはグループアイドル出身の誰々』と報じられたことがあって、メーカーも具体的で。自分は話を聞いてないけれど、その時はすごく心配になって、事務所に『私、本当にないですよね。隠し撮りされてることもないですよね』と確認しました(笑)」

 会ってみるとサバサバとした性格で、なんでも明るく話してくれる。亡くなった俳優の地井武男さんには「本当に男の子みたいな子だな」と言われたそうだ。

 誰に対してもはっきりと言う性格もあり、不思議と大御所芸能人に好かれる。なかなか芽が出なく、芸能界をやめるか悩んだ時、相談したのは「B.C.ビューティー・コロシアム」で共演した島田紳助だった。

「紳助さんには『1年間とにかく頑張れ。まず大阪の番組でいろいろ試して、それでダメだったらやめればいい』と言ってもらえて。まず紳助さんの大阪の番組に呼んでいただいて、そこからやしきたかじんさんや上沼恵美子さんの番組につながっていきました」

 その後、日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」出演時に、自らを「崖っぷちアイドル」と名乗り、それが熊切の代名詞になる。2002年のことだ。

「『さんま御殿』では明石家さんまさんに『君、なにしてる子なの』と必ず聞かれるんですが、当時はタレントというほどテレビには出ていないし、グラビアアイドルと言ったら失礼なくらいグラビアもやっていなかったので、見ている方も気分が悪くならないかなと『崖っぷちアイドル』と言ったら、さんまさんが面白がってくれて。『さんま御殿』に年に4回くらい呼んでもらえました」

 島田紳助のプッシュで「行列のできる相談所」に出演したときには「熊切レベルで出れるんだったらうちもと、翌日番組への売り込みがすごかったらしいです(笑)」と知名度以上のチャンスをもらった。

 関西芸能界のドン、やしきたかじんさんにも可愛がられた。

「大阪の朝の番組『ぶったま』に隔週の準レギュラーを私含めた3人で回すことになったんです。でも私は準レギュラーをレギュラーだと勘違いして、たかじんさんの番組で『レギュラー決まりました』と言っちゃった。その番組は『ぶったま』とスタッフさんが一緒で、たかじんさんが『お前出てるんだったら毎週見るよ!』と言われたので、スタッフも私の出演を隔週にできなくなり、結局レギュラーになっちゃったんです(笑)。プロデューサーさんも『お前の勝ちだな』って笑ってました」

 大阪には経費もかかるからとマネージャーもつけず、一人で通った。ある時、たかじんさんに昨日何を食べたかを聞かれ、「いつもホテルでカップラーメンです」と話すと「体にもよくないし、さすがに大阪まで来させているから」と飲みに連れていってもらうようになった。

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