青春18きっぷで巡る「ご当地グルメ」「鉄道遺産」の旅 オススメプラン5選

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先人の苦労に思いをはせながら

 桜木町からは現在の横浜駅に戻って再び西へ。東海道本線は横浜から先、旧街道をなぞるように最終的には京都、大阪まで延伸することを目標にしていたが、そこに立ちはだかったのは“箱根の山は天下の嶮(けん)”とも歌われた箱根峠。山塊に阻まれ線路を敷くことができず、国府津駅から西は現在の御殿場線へと迂回(うかい)していた。急坂が続き日清・日露戦争の時期には輸送力の限界が指摘され、16年にもわたる難工事の末、1934(昭和9)年に熱海駅と函南駅の間に「丹那トンネル」が開通。ようやく最短ルートで日本の東西が結ばれた。

 最新型の電車でも通過に約7分を要する長いトンネルを抜けながら、先人の苦労に思いをはせていると三島駅に到着。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で話題の源頼朝が源氏再興を祈願した伊豆国の一宮「三嶋大社」に詣で、富士山の伏流水でうまみを増した鰻のかば焼きを楽しむのもよし。もう一駅足を延ばし、港町の沼津で駿河湾の地魚を握ったすしに舌鼓を打つのも一興だ。

 帰路は、沼津から古(いにしえ)の大幹線・御殿場線で東京に戻ることをお勧めしたい。沿線には東海道線時代をしのぶレンガ造りのトンネル遺構や鉄橋の跡が散見される。鉄路の栄枯盛衰を眺めながら、世のはかなさを思うのも「鈍行」の旅ならではだろう。

伝説の駅弁「峠の釜めし」

【東京発日帰り】「最高地点」を走る「山岳鉄道」の旅

 我が国初の鉄道は旧東海道ルートで敷設されたが、明治政府は五街道の一つ、旧中山道沿いにも鉄道建設をもくろんだ。軍事上、海沿いの鉄路は有事で外国艦船から砲撃される危険性があり、山ルートで帝都と京都、大阪を結ぼうとしたのだ。

 だが、ここにも難関があった。人力が主の当時の土木技術では、群馬と長野の県境にある碓氷峠をどうしても越えられない。峠の麓にある信越本線横川駅から軽井沢駅に至るまでの11.2キロメートルの高低差は553メートル。日本一の急勾配のため、専用の機関車で難所を克服した。

 1997年に北陸新幹線の開業で廃線となるまで、この区間は特急でも必ず機関車連結の必要があり、付け替え時間で暇を持て余す乗客に40年間売られていたのが駅弁の代名詞「峠の釜めし」である。東京駅から高崎駅で乗り換え横川駅に着いたら、駅前にある1885(明治18)年創業の「荻野屋横川本店」で熱々の「峠の釜めし」を手に入れよう。人気の駅弁は各地の催事でも入手可能になったが、やはり出来立ては一味違う。駅周辺には「碓氷峠鉄道文化むら」が整備され、峠越えで使われたEF63型電気機関車の運転体験(※要予約)もできる。

 軽井沢駅へはJRバスを利用するが、できれば横川駅前を午前11時10分に出発する便に乗りたい(8月6日~21日運行)。この便のみ往年の在来線に沿って峠を越えるため、途中でレンガ造りのアーチが見事な通称「めがね橋」を見ることができるからだ。

「離れ業」とは

 軽井沢で散策を楽しんだ後は、小諸駅を経由して小海線に乗り換えて、八ヶ岳の裾野を走る高原列車の旅を満喫しよう。途中の野辺山駅は標高1345.67メートル。JRで最も高い場所に建つ駅として有名だ。開業は1935(昭和10)年だから、新橋―横浜に鉄道が開通して半世紀あまりで、標高千メートルの高地まで先人たちは鉄道を延伸させたことになる。ここから先、清里駅までの間には「JR鉄道最高地点」を示す碑も建ち、車窓からその姿を拝める。

 帰路は小淵沢駅で中央本線に乗り換え東京方面へ。途中、勝沼ぶどう郷駅で下車して甲州産ワインを楽しむこともできるが、ちょっと欲張りすぎか……。

 そもそも「青春18きっぷ」を貴方の最寄り駅から使おうとすれば、普通や快速列車しか乗れない制約上、自ずと行き先が限られてしまう。そこで時間とお金にある程度、自由が利く大人ならではの「離れ業」を提案したい。それは航空機や新幹線で各地へと向かい、そこから「青春18きっぷ」の旅を始める方法。これなら北から南まで縦横無尽。目的に合せて時間も節約できるというわけだ。ならばさっそく、北の大地へ足を延ばしてみよう。

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