村上宗隆、山川穂高は達成できるか ホームラン50本以上を打った日本人選手の“ドラマの数々”

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偉業に挑んだ落合と松井

 一方、バース(阪神)とともに77年の王以来8年ぶりの50本塁打を記録したのが、ロッテ時代の落合博満である。

 85年10月19日の日本ハム戦で50号を放ち、自身初の大台に乗せた落合は、翌20日の日本ハム戦で51号、シーズン最終戦となった同21日の西武戦でも松沼博久から52号を放ち、野村とともに日本人歴代2位タイとなった。  
 
 翌86年も10月14日の南海戦でNPB史上初の2年連続50号を達成。この時点で8試合を残していた落合は「ただ50でいいというわけじゃない。王さんが55本打っているし、それに向かっていくしかない」と新たな目標を口にした。

 だが、首位打者を争うブーマー(阪急)が9厘差で追っていたことから、稲尾和久監督がNPB史上初の通算3度目の三冠王を獲らせたい“親心”から休養を命じる。

 この結果、落合は4試合を欠場。残り4試合も2試合が代打出場のみと若手に出番を譲り、50本でシーズンを終えた。もし残り8試合もフル出場していたら、前年も終盤4試合で5本塁打と固め打ちした落合だけに、55本に届いていたかもしれない。

 21世紀以降、日本人で唯一シーズン50本塁打を記録したのが、2002年の松井秀喜(巨人)である。シーズン残り2試合となった同年10月10日のヤクルト戦、初回に藤井秀悟から49号先制2ランを放ち、王手をかけた松井だったが、8回の4打席目はカウント2-1から五十嵐亮太の4球目をファウルゾーンに高々と打ち上げてしまう。

 捕邪飛と思われたが、米野智人が白い天井に吸い込まれた打球の目測を誤って落球したことで命拾い。1球ファウルのあと、6球目の150キロ直球を左中間席に叩き込んだ。

「(本拠地)最終戦の最終打席に打てたのは、僕の力だけじゃない」と周囲の人々に感謝した松井は「遠い数字だと思っていた。49と50じゃ、えらい違いだから」と大台の重みを噛みしめていた。

 今年のシーズンもいよいよ終盤へ。村上、山川がどこまで本塁打の記録を伸ばすか、そして、どんなドラマが生まれるのか、楽しみでならない。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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