村上宗隆、山川穂高は達成できるか ホームラン50本以上を打った日本人選手の“ドラマの数々”

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「ラビットボール」

 昨年のセ・リーグ本塁打王・村上宗隆(ヤクルト)が8月2日の中日戦でNPB、メジャー新記録の5打席連続本塁打を達成するなど、早くも40本塁打を超えて、1964年に王貞治(巨人)が記録した「55」に迫っている。一方、パ・リーグでは、山川穂高(西武)も40本塁打を視野に入れており、こちらもシーズン50本塁打以上の期待がかかる。過去にシーズン50本塁打以上を記録した日本人選手は、前出の王をはじめ5人。彼らはどのようにして大台達成を実現したのか、その足跡を振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

 日本人で初めて50本以上を記録したのは、1950年の小鶴誠(松竹)である。
 176センチ、71キロとけっして体格に恵まれていなかった小鶴は、腰の回転を利用し、体全体のバネを使ってダウンスイングで打球を遠くに飛ばす打法を習得した。

 前年から「ラビットボール」と呼ばれる飛ぶボールが使われていたことも追い風となり、11月20日の大洋戦でNPB史上初のシーズン50本塁打を実現。最終的に51本塁打を記録した。

 同年はシーズンに入ってしばらくしたころ、投手の投げたボールが一瞬止まって見えたというエピソードも伝わるなど、選手として最も脂がのりきったシーズンだった。

 だが、腰をフルに使う打法が負担となり、シーズン終盤に椎間板ヘルニアを発症してしまう。以後、腰痛は持病となり、翌年は24本塁打と激減。ホームランバッターとして圧倒的な存在感を示したのは、“実質1年限り”だった。

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