田中将大は「一番印象に残っている試合」と回想 夏の甲子園で起きた“奇跡の大逆転劇”

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田中のホームインでサヨナラ

 2004、05年と夏連覇を達成した駒大苫小牧も、06年の3回戦、青森山田戦では、球史に残る大逆転試合を演じている。

 夏3連覇を狙う駒大苫小牧は、エース・田中将大(現・楽天)が甲子園入り後に胃腸炎で体調を崩し、万全にはほど遠い状態だった。

 この試合も、背番号13の岡田雅寛が先発したが、2回に野田雄大の3ランなどで4点を失い、2番手・菊地翔太も踏ん張れず、3回途中から田中がマウンドに上がった。

 その田中も4回に1点を献上し、1対7と大きくリードされてしまう。この時点で香田誉士史監督も「あれ以上(の点差)は追いつけない」と敗戦を覚悟していた。

 しかし、ナインはあきらめていなかった。4回に1点を返すと、6回に4番・本間篤史のタイムリーと三谷忠央の右中間二塁打で2点、7回にも1点を加え、2点差まで追い上げる。8回に5対8と再びリードを広げられると、その裏も3連続長短打で一気に追いつく驚異的な粘りを見せた。

 青森山田も負けていない。9回2死一、三塁から大東憲司の右前タイムリーで9対8と勝ち越し。最終回の1点は重く、駒大苫小牧の追撃もここまでかと思われた。

 だが、勝負は下駄を履くまでわからない。その裏1死から3番・中沢竜也が起死回生の同点ソロを放ち、2死後、田中も中前安打で続いた。

 次打者・三谷も左中間を破ると、一塁走者・田中は「何が何でもホームを踏んでやる!」と一世一代の激走を見せ、サヨナラの長駆ホームイン。田中自身も「甲子園で一番印象に残っている試合」と回想している。

 同年の駒大苫小牧は、準々決勝の東洋大姫路戦でも0対4から執念の逆転勝ちを演じるなど、苦闘に次ぐ苦闘の末、全員野球で勝ち上がり、延長15回引き分け再試合となった“伝説の決勝戦”早稲田実戦を迎えている。

「最後の打者にはなりたくない」

 7点ビハインドを終盤の3イニングでひっくり返す“ミラクル”を実現したのが、16年の東邦である。

 2回戦の八戸学院光星戦、プロ注目右腕・藤嶋健人(現・中日)が3回途中4失点KOを喫したのが波乱の始まりだった。5回にも2点を失い、7回にも守備の乱れから3失点。2対9と大きくリードされた。

 東邦はその裏、3安打を集中して2点、8回にも犠飛で1点を返したが、まだ4点差。残り1イニングで追いつくのは、至難の業に思われた。

しかしながら、奇跡への扉は開く。9回裏、先頭の鈴木光稀が安打で出て、1死後に二盗を決めると、松山仁彦の右前タイムリーで、まず1点。一塁側、東邦応援団の手拍子はいやがうえにもボルテージを上げ、みるみるスタンド全体へと波及していく。

 2死一塁から小西慶治が「最後の打者にはなりたくない」とバットを短く持って右前に弾き返したあと、銀傘を揺るがす大歓声と手拍子のなか、中西巧樹、高木舜の連続長短打が飛び出し、あっという間に同点に……。

 ほとんど東邦の応援一色に染まったスタンドに、八戸学院光星のエース・桜井一樹は「全員が敵なのかなと思いました……」とこれまでに経験したことのない重圧を一身に受けていた。

 土壇場で追いついた東邦は、“押せ押せムード”のなか、なおも2死二塁で、「打席ではワクワクして、打てる気しかなかった」という鈴木理央が三遊間を抜き、10対9でゲームセット。森田泰弘監督も「鳥肌が立ち、涙が出ました」と“感動を超える感動”に浸った。

 4点差を最終回にひっくりかえしたのは、06年の智弁和歌山と並ぶ史上最大の逆転サヨナラ劇だった。スタンドを味方につけた東邦と、期せずして敵に回してしまった八戸学院光星。応援という外的要因が大きく明暗を分けたという意味でも、記憶に残る大逆転劇だった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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