上京3カ月の作家・大前粟生が未だ東京になじめない理由 「東京と東京性のあいだにいるような感覚がある」

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漠然とイメージしていた「東京」

『おもろい以外いらんねん』『きみだからさびしい』などで多くの読者の心をつかみ、最新刊『柴犬二匹でサイクロン』では短歌にも挑戦している、作家の大前粟生さん。繊細な表現で人気の彼が、3カ月の上京生活で考える「東京性」という言葉の意味とは。

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 東京で暮らしはじめて3カ月になる。出会う人たちに、「東京はどうですか?」とよく聞かれる。その度に「意外と住みやすいですね」などと答えているけれど、漠然とイメージしていた「東京」というのはネガティブなものだった――人が溢れてただ交差点を渡るだけなのに迷子になりそうな街だったり、満員電車、疲れた顔の人たち、どこを見ても脱毛か自己啓発の広告ばかり。こうしたイメージは実際のところ間違ってもいないだろうけれど、「東京」って別にそれだけじゃないっていう当たり前のことに、ここに暮らしはじめたから気付いたし、それだけじゃない「東京」をこれから見つけていける。

 東京に来る前は10年近く京都で暮らしていた。方向音痴だし通りの名前もあまり覚えられないままだったが、自分の書く小説の舞台として京都を描くことがそれなりに多かった。

 実在する地名を小説に登場させると、例えば「京都に行きたくなった」「あのあたりに住んでいたのだけれど懐かしくなった」など、その土地と関連付けた感想を頂くことがよくある。小説に書いてある文章というよりも、読んだ人それぞれのその土地への想いによるところが大きいのかもしれない。

イメージとして共有される東京性

 私自身はというと、土地への愛着のようなものに疎いままで生きてきた。出身がすごく田舎で車がないとどこへも行けなかった、というのが案外大きいかもしれない。実家にいた時も下宿していた時も、ルーティンが決まってしまうとその外側にまで出向こうとは思わなかった。旅行にもあまり出かけないし、住む場所として最近まで関西から出たこともなかった。それでも東京に対してのイメージがそれなりにあったのは、東京がいろいろな歌やフィクションの中で描かれてきたからだろう。

 東京そのものではないけれど、いろいろな人がイメージとして共有している東京性のようなものは意外と好きかもしれない。例えばそれは冒頭に挙げた疲労感と消費の場所としての東京だったり、若者が夢を抱いて上京して来る場所としてだったり、ハリウッド映画で描かれる誇張された日本像としての東京、“こち亀”や“寅さん”みたいな下町情緒がまだ残る東京だってそうだ。

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