幼少期に「日本人と結婚しない」と決意した高橋ブランカさん 日本人と結婚することになった運命のイタズラとは

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「つべこべ言わないで、行きなさい!」

 その運命的な出会いは無理矢理の早送りの途中、1990年12月に起きた。私は当時ベオグラード大学の日本語学科の学生だった(あれ、あれ……断じて日本人と結婚しない人が他ではなく、日本語を学んでいる?! はい、そのお話は、長くなるのでまた今度……)。在ベオグラード日本大使館のある方が数回ご自宅でパーティーを開いてくださり、私たち学生に日本語を話す機会を提供してくださった。その何度かには、毎回違う学年が招待された。2年生の私たちの番が来た時、私は行くつもりはなかった。その数日前、ヨーロッパの4日間バスツアーからベオグラードに戻って、まだ疲れが取れていなかった。授業の後は、部屋に帰って昼寝をした。大使館の方に誘われている、とルームメートに話してはいたが、疲れているし、行ってもどうせ私たちは私たち(まだ日本語を話せないから絶対に日本人と目を合わせないだろう)、日本人も基本的にシャイだと聞いて(恐らく向こうも積極的に話しかけてこないだろう)、行っても仕方がない、と決めつけて、ルームメートと夕方コーヒーを飲みながら違う話をした。そして彼女は「あれ……今日じゃなかった? 日本の方に招待されているのは」と言った。「そうだけど……もう遅いし。ベオグラードの反対側の、住所も覚えていないところだよ。今朝、髪も洗ってないし、何を着ればいいか、分からないし……」「髪なんかどうでもいい。服も適当でいい。行きなさい!」「もう遅いよ、間に合わない」「つべこべ言わないで、行きなさい!」とルームメートは文字通りに私を部屋から叩き出した。嫌々行って、遅れたものの、何とかパーティーにたどり着いた。

 最初は想像通りに、みんな固まっていた。でも私たちの素晴らしいホストは日本人サークルとセルビア人サークルを割って話すきっかけを作ってくださった。その日に話しこそしなかったが、〈うわ~、かっこいい〉と思った若い館員がいた。その後、聞いた話だと、その日に熱を出して、行くつもりはなかったが、他の2人の館員に「私たちは車がないから、あなたの熱は知ったことじゃない」と言われて、嫌々来たそうである。

 その人と今息子の塾の高い費用を払っている次第である……。

高橋ブランカ
1970年旧ユーゴスラビア生まれ。作家。著書に『クリミア発女性専用寝台列車』など。

デイリー新潮編集部

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