アイドルの「成長物語」、原点は伝説の番組「スター誕生!」だった 「完成品」より「下手な人」を選んだ阿久悠の先見性

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成長物語を演出する

「スター誕生!」は、デビュー後のアイドルたちに対しても、成長物語を演じさせていった。阿久悠は、次のような文章を残している。

「14歳で、あるいは、15歳でデビューした少女歌手たちを、どのようにして、作品によって年齢をとらせていくかが大きな課題であると、途中から考え始めた。(中略)ぼくらは、常々、どうやって成人式を迎えさせるのがいいのかね、と頭を悩ませていたのである」

「スター誕生!」出身歌手たちの楽曲は、歌い手の成長という意味を織り込まれながら創作された。「未熟でも、何か感じるところのあるひと」を選んでいた同番組は、子ども歌手が「どのように選ばれるか」だけでなく、「どのように育っていくか」というプロセスをも意識していたのである。その成長物語のベースには、番組を支える家族的なムードがあった。

「スター誕生!」出身のタレントたちは、デビュー後も番組出演や地方公演などを通じて番組と関わり続け、ほかの子ども歌手やスタッフたちと寝食を共にする機会も多かった。高校進学の場面では、親ばかりでなく番組スタッフが進路選択をサポートしたほどである。番組出身アイドル、番組スタッフ、レギュラー審査員たちの親しげな関係は、しばしば「スタ誕ファミリー」と呼ばれた。

成長過程を歌にする私小説風の方法

 この一連の成長物語によってトップクラスの人気を誇ることになったのが、山口百恵であった。1972(昭和47)年に合格した彼女を獲得したCBS・ソニーのプロデューサーの酒井政利は、その第一印象を「ズドンとそこに立っている女の子」だったと語る。当時のアイドルといえば、天地真理のように、雲の上からほほ笑みかける天使のような、メルヘンの主人公的イメージが定番だった。それに比べて、山口は普通の少女にしか見えなかったが、この敏腕プロデューサーは彼女の「大地を踏みしめるようなたくましさ」や、一重まぶたの「古風な顔立ち」に新しいスター歌手の出現を予感したという。

 酒井は、彼女のプロデュース戦略として「成長の過程をそのまま歌にしていく私小説風の方法」を選んだ。その結果、「第1期」から「第3期」に整理される少女の成長物語が演出されていったのである。

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