アイドルの「成長物語」、原点は伝説の番組「スター誕生!」だった 「完成品」より「下手な人」を選んだ阿久悠の先見性

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1日千件の応募が

 もともとこの「伝説のオーディション番組」の企画書を作成したのが阿久である。彼は広告代理店の社員としてテレビ番組やCM制作の現場に身を置いたのち、放送作家、作詞家へと転身したキャリアの持ち主。テレビというメディアの特性を熟知していた。

 阿久は「スター誕生!」を通じて、テレビ画面のなかをアイドルの発掘現場へと作り替えた。従来のアイドル的な歌手やタレントは、児童合唱団、レコード会社の内弟子、少女歌劇団、米軍クラブ、芸能プロダクションの養成機関などで音楽修業を積み、テレビへの出演はその結果として実現するものだったが、「スター誕生!」では、逆にテレビに出演することがデビューに先行したのである。

 一連の流れは以下のようなものだった。

 出場を希望する者は、まずはがきで番組宛に応募する。番組スタッフの元に届いた申し込みはがきは1日当たり平均千通にもなり、その応募の9割を少女が占めたという。日本テレビから返信が届くのは約3カ月後で、予選会場には400~500人、多いときで900人ほどが集まりオーディションを受けた。予選会は全国で行われ、たとえば桜田淳子は秋田予選を受けている。第1次予選では30~60秒の歌唱時間が与えられ、40~50人ほどが第2次予選に進み、歌や服装、質問に答える姿などの審査を経て6~7人ほどがテレビ本番への出演を許された。

デビュー前から売り込みが可能

 本番のテレビ収録は、予選会の約2週間後に後楽園ホールで行われた。レギュラー審査員は5人、それぞれ100点ずつの持ち点を与えられ、会場の一般審査員500人が1人1点の持ち点を与えられる。審査員の持ち点計千点のうち250点以上を獲得できれば、最後の決戦大会へと進むことができた。

 決戦大会は、おおむね3カ月に1度開かれた。出場者は決戦大会の5日前から合宿に入り、髪形、衣装、発声、振り付けなどの集中的なレッスンを受け、各プロダクションやレコード会社による「下見会」も開かれた。決戦大会では、出場者は客席に居並ぶ「登録会社」の関係者たちの前で歌を披露し、スカウトマンたちは獲得したい出場者がいればプラカードを上げる。プラカードが上がって歓喜にむせび泣く少年少女の姿も、プラカードが上がらずステージから静かに去っていく少年少女の姿も、テレビのカメラはとらえていた。このシーンは、番組のクライマックスとして劇的に演出された。

 プラカードが上がると、日テレのスタッフによる「デビュー委員会」が合格した少年少女や保護者の意向を聞きながら、所属プロダクションやレコード会社を決定し、売り出しに向けたイメージ戦略を練る。また、デビュー曲が決定した新人は3~5週間にわたって番組内で歌うことが許された。デビュー前からテレビで売り込みをすることができるという、新人歌手としては破格の待遇が彼らには約束されたのである。

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