降雨ノーゲームで消えた“ホームラン伝説” “幻の2本”で本塁打王を逃した日ハム“助っ人”も

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「アンラッキー!」

 ドーム球場がない時代のプロ野球は、降雨ノーゲームなどにより、記録されなかった幻の本塁打も多かった。今回は“雨に消えたホームラン”の悲劇を振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

 雨で2本の本塁打が幻と消えた結果、タイトルを逃したのが、日本ハムのボビー・ミッチェルである。来日2年目の1977年、ミッチェルは4月29日のロッテ戦で、初回に村田兆治から先制弾を放ったが、にわか雨により、3回でノーゲームになった。

 さらに7月11日のクラウン戦、ミッチェルは1回1死二、三塁で玉井信博から左翼席上段に20号先制3ランを放つ。

「スライダーだった。1球目に空振りしたのと同じ球だが、2球同じ球を続けては通用しないね」とうれしそうに本塁打談話を語ったミッチェルだったが、それから1時間も経たない4回表のクラウン攻撃中、深い気圧の谷の影響で雨が激しくなり、またしてもノーゲームに……。思わず「アンラッキー!」と天を仰いだ。
 
 人情家で知られる大沢啓二監督も「これで2本目だろ、可哀相だよな。何とかならんものかね」と同情しきりだったが、皮肉にも、この2本が明暗を大きく分ける。

 同年、ミッチェルは32本塁打を記録したが、本塁打王は34本のレオン・リー(ロッテ)。「“幻の2本”が生きていれば、リーとタイトルを分け合っていたのに……」と悔やまれた。

 72年の大杉勝男(東映)、82年のウェイン・ケージ(阪急)もノーゲームで本塁打を1本損した結果、1本差でタイトルを逃しているが、2本流れて2本差に泣いたミッチェルのほうが“悲劇度”では勝っている。

バースデー弾が幻に

 近年では、来日1号、2号が幻と消えたブレント・モレル(オリックス)の悲劇が記憶に新しい。2016年4月21日の楽天戦、開幕から4番を任せられながら18試合ノーアーチのモレルは、この日がくしくも29回目のバースデーだった。

 1回2死二塁のチャンスで打席に立つと、右翼席のファンがバースデーソングで応援してくれた。これに気を良くしたモレルは、ケニー・レイからバックスクリーン左に豪快な先制2ランを放つ。開幕から85打席目の来日第1号である。

 さらに2対5とリードされた3回にも、糸井嘉男のソロに続き、再びレイから左中間席へ2打席連続の2号。誕生日に2打席連続弾という最高のめぐり合わせに、ふだんはポーカーフェイスのモレルも、ベンチに戻ると、こぼれるような笑顔を見せた。

 ところが、皮肉にも、直後から雨脚が強くなり、3回裏の楽天の攻撃中に試合中断。31分後にノーゲームが決定した。この日は、モレルの2発のほかにも、前出の糸井と楽天のゼラス・ウィーラーの計4本が幻と消えたが、モレルのように2本もフイにするのは超レアだ。

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