林真理子氏も三谷幸喜氏も出身 「日芸と日大は別」という意識はなぜ生まれるのか

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実践的な授業

 90年代に文芸学科に入学し、現在は出版社を経営しているOBは、学生時代、教授から言われた一言が忘れられないという。

「僕は団塊ジュニア世代だったので志願者が多く、一次試験の倍率は10倍以上。ある教授からは、『お前たち世代が偏差値を上げたから面白い学生が減った』と言われました。個性的な同級生は多かったですが、70年代や80年代の先輩と比べると小粒になっていたようですね」

 在学中から芸能界やマスコミ業界で働き始め、仕事が忙しくなって大学を中退──それが出世コースだという“都市伝説な伝統”も残っていたという。

「まあ、ほとんどの学生がちゃんと卒業するんですが、そんな夢を見てしまいたくなるような梁山泊的な雰囲気はありました。大学側も実践的な授業を用意していて、文芸学科だと1年生からゼミがあり、ゼミごとに雑誌を編集します。また写真学科では『ガラスのコップを撮影する』という課題があり、入学早々、カメラの配置や照明といった基本的な撮影テクニックを学ぶそうです」(同・OB)

 ちなみに他学科の学生でも受講できる授業もあり、特に写真学科の「写真基礎」は日芸生に人気だったそうだ。

“日芸”意識

「モノクロフィルムでの撮影、現像、プリント、さらにはカラーフィルムでのプリントまでを学ぶことができました。写真の撮り方の基礎を教えてくれるので、出版や広告の現場で働きたいと思っている学生にとっては、非常に有益な授業でした」(同・OB)

 他大学の芸術学部とは異なり、学科が多岐にわたっているため、映画、音楽、演劇、文学など、カバーする領域も広い。そのため、大学でありながらサブカルチャー的な校風が魅力的だったという。

「三谷さんの仰る通り、僕らは“日芸”の学生という意識はありましたが、“日本大学”の学生という感覚はありませんでした。僕は落語研究会に所属していたので、オール日大のイベントなどで他学部の学生とも交流がありましたが、4年間、他学部の日大生と交流したことがないという人も珍しくなかったですね。ただし、日大は学部ごとにキャンパスが分かれているので、それは他学部の日大生も同じかもしれません」(同・OB)

 当時の日芸には、日大の附属高校から内部進学した現役生から、日芸にこだわって二浪・三浪の末に入学した学生など、様々なタイプの学生が在籍していたという。

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