「過度な自粛こそがリスクだ」 音楽フェス主催者が語る「こんなご時世に佐賀・唐津でフェスをやる理由」

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「いつかまた茨城で」発言の波紋

 ロック・イン・ジャパンの中止に影響を与え、茨城から千葉へ大規模な経済効果を移転させるきっかけとなった茨城県医師会の鈴木邦彦会長は「いつかまた茨城で」と発言して、ネットでは批判が殺到した。

 そんな中、開催されるのが唐津のフェス「KSC」だが、「唐津で1万人ロックフェスをやりたい」という野望を持ち、峰達郎・唐津市長を含めた関係者に熱心に訴え、消防士から観光課へと異例の異動をした市職員の山口剛氏の構想がベースにある。

「僕はあくまでも『唐津で1万人ロックフェスをやりたい!』と考え、映画の『フィルムコミッション』的に自治体が制作者を支援する『ミュージックコミッション』を思いつきました。何しろ市にはフェスを運営するノウハウはないですが、各種手続き等が本業ですからね。ミュージックコミッションの“先輩”である京都府の舞鶴市を訪れ、その取り組みを聞き、報告書を出してしばらくした時に橋村社長が市役所に現れたのです」

 ここで登場する「橋村社長」とは、KSCの発起人で主催メンバーでもあるVILLAGE INC.社長の橋村和徳氏。キャンプイベントのプロであり、唐津出身で地元の発展に取り組む。同氏は、今回のフェスにおいては「基本的な感染対策はする」と述べたうえで、よく言われる「こんなご時世」に多くの人が集まり熱狂するフェスをする理由を語る。

「こんなご時世だからこそ」

「こんなご時世だからこそが大きかったと思っています。音楽業界といったエンターテインメント業界がこのコロナ禍において最も疲弊した業界の一つとされていますが、実は地方経済も同様ないしそれ以上に大きく疲弊していました」

 東京や大阪といった大都市は商業施設や飲食店は盛況だが、地方はそうではない。コロナ禍の中、橋村氏の出身地である唐津市も同様だ。元々は賑わっていた街の中心街もシャッターが下ろされている。だからこそ、橋村氏はこの状態に危惧を抱き、こう述べる。

「大都市を中心とする活動が制限され立ち止まってしまった音楽業界とリスクの低い大自然の中での活動をフィーチャーされた地方の環境と、自分らの街をどうにかしたいという地域コミュニティの熱量、コロナ禍に置いてこの三者の出会いは必然だったと思っています。まさにピンチはチャンスということで、新しい祭り=音楽フェスが音楽業界-地域経済-地域資産をつなぐ装置になると熱く語ったのが官民問わず共感を頂き、リスクを最小限に抑え開催しようという機運を醸成できたのが大きかったと思っています」

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