ソ連スパイを追い詰めるために公安部外事1課長が使ったウルトラCとは

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 日本の公安警察は、アメリカのCIA(中央情報局)やFBI(連邦捜査局)のように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年歩き、昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、異例の捜査で追い詰められたソ連スパイについて聞いた。

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 公安部外事1課では、今ではありえない捜査手法でスパイを逮捕しようとしたことがある。

「1971年7月29日、東京・小平市にあったドライブイン『ニューロード』で、当時の外事1課課長は異例の指示を出しました」

 と語るのは、勝丸氏。かつて公安部外事1課に所属していた同氏は、ロシアを担当したこともある。

「駐日ソ連大使館の武官に米軍機密情報を渡したとして、その8日前、田中和夫(仮名)を刑事特別法(米軍の安全を害するために米軍の機密を盗んだ場合、10年以下の懲役に処することができる)で逮捕しました。なんとその男を囮に使って、依頼主である武官を誘い出したのです」

「アイ アム ジャパニーズポリス」

 留置所にいる容疑者を囮に使うとは、前代未聞である。

「逃亡する恐れがあるし、自殺する可能性もあります。あるいは、一般人に危害を加えるかもしれません。今なら間違いなく大問題になるでしょう」

 田中は、武官と1970年6月以来接触を続け、米軍の機密情報を渡していた。29日、武官と午後8時に待ち合わせていた。

「一般的にスパイは時間に厳格なものですが、約束の8時になっても現れなかった。外事1課長は『気づかれたのかな、もう少し待ってみよう』と言い、30分が過ぎました。落胆の表情を浮かべる捜査員もいたそうです。ところが、9時になった時、課長が『今日は撤収だ』と言った途端、長身の外国人が現れました」

 その外国人は、田中が運転する車を見つけると、助手席に乗り込んだ。

「田中に『どうもお待たせしました』と英語で挨拶すると、車の後部座席に横になっていた刑事が起き上がって、『アイ アム ジャパニーズポリス プリーズ ショウミー ユア パスポート』と言ったそうです」

 まるでドラマのワンシーンのようだ。男の身分証明書には、「在日ソ連大使館員 陸空軍武官補佐官 中佐 レフ D・コノノフ」とあった。

「コノノフに任意同行を求めたところ、外交特権を盾に拒否。通りすがりのタクシーに乗って姿を消しました」

 コノノフは8月3日、逃げるように帰国した。

 田中は、どういう人物なのか。

「彼は、立川市内の米軍横田基地の近くにあった、米軍払い下げの無線機器販売店に勤務していました。英語が堪能で、店に出入りする米兵と親密な関係にあったといいます」

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