佐々木朗希の同級生が語る“進化”と“決勝登板回避”秘話 「今では監督の決断は正解と」

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外木場も「私よりはるかに上」

 1968年にやはり完全試合を達成した、元広島の外木場義郎氏も、

「私の時はあんなに騒がれることもなかったですよ」

 と笑いながら言う。

「当時はチームも弱くてね。シーズン終盤戦で、相手もBクラスの大洋ホエールズだったこともあって、テレビ中継もないし、ほとんど報じられませんでしたよ。私と比べて? そりゃ佐々木君の方がはるかに上でしょう。ストレートの球速も、フォークの落ち方も感心するしかない。ロッテはいい育て方をしたね」

 過去の「完全男」たちも、脱帽の評価を与えるのである。

新幹線からロケットに

「完全試合は、ネットの速報でチェックしていました。8回以降は興奮の連続でした」

 と述べるのは、同志社大学3回生で、硬式野球部に所属する、木下大洋氏。

 木下氏は岩手県大船渡市の出身で、中学、そして大船渡高校で佐々木とプレーしてきた。高校通算28本塁打のスラッガーで、高校3年時は、佐々木が4番、木下氏が5番と中軸を担った“戦友”だ。

「試合の直後に“おめでとう”とLINEを打ったんです。何百通とお祝いのメッセージが来ていたはずですが、すぐに“ありがとう”と返信が来て……。彼とクリーンナップを打てたのは、本当に誇りです」

 大船渡高校の当時のチームメートは、毎年年末には地元で集まり、旧交を温めているという。昨年末も、木下氏は佐々木を含めたメンバーと会い、練習もしたといい、

「キャッチボールもしたのですが、高校生の時とは、球のキレがまったく違いました。言い方が難しいんですが、当時の球を新幹線とすれば、今の球はロケットのような……。正直、捕るのが怖くなるような球筋でしたね」

 年が明け、地元で行われた成人式でも顔を合わせたが、その際、佐々木の今シーズンにかける意気込みを感じたそうだ。

「今年は頑張るよ、と。1、2年目はあまり登板ができませんでしたから、その葛藤があるのかな、と思いました」

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