佐々木朗希の同級生が語る“進化”と“決勝登板回避”秘話 「今では監督の決断は正解と」

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「正直、彼が投げていたら…」

 佐々木の高校時代といえば、やはり思い出されるのが、夏の甲子園・岩手県大会決勝での「登板回避」騒動だ。甲子園出場が懸かった大谷の母校・花巻東高校戦で、当時の大船渡高校の國保陽平監督は、連投による故障を避けるため佐々木を試合に出さず、チームは大敗を喫した。

 勝利を捨てて、一人の将来を優先する――この決断が、賛否、大きな論争を生んだのは記憶に新しい。

「あの決勝の後は、ずっと“なぜ朗希に投げさせなかったんだろう”とモヤモヤした部分が残っていました」

 と、木下氏は胸中を振り返る。

「正直、彼が投げていたら、甲子園に行けていたんじゃないか、という思いがずっと消えなかったんです」

 でも……として、木下氏は続ける。

「朗希がプロの世界で堂々と投げ、勝ち投手になる。そういう姿を見ているうちに、気持ちが変わってきました。朗希が結果を残しているのを見て、采配は間違いじゃなかったのかも、と。そして、あの完全試合で、プロを相手に面白いように三振を取る姿を見て、モヤモヤがスッと晴れていくのがわかりました」

 チームメートも、当時のことはその後、一切、口にしないという。

「みんなで会った時も、一度も話題にしたことがありません。もちろん朗希もそうです。お互いに立ち入らないようにしているというか……。だから、心中はわかりませんが、今では元チームメート全員が、監督の決断は正解だったと思っていると感じます」

 佐々木の奮闘が、あの夏の選択にひとつの答えを与えつつあるようなのだ。

「同級生としては日本にいてほしい」

 既にメジャーリーグからも注目が集まっているのは周知の通り。

 木下氏は、

「高校時代、朗希は、田中将大投手が好きだ、と言っていました。見に行った試合で活躍していたのが印象に残ったとか。もちろんメジャーに行ってほしい気持ちはありますが、同級生としては日本にいてほしいという思いも。アメリカに行けば、簡単には試合を見に行けなくなりますからね」

 と言うけれど、日本人で初めてMLBスカウトを務めた大慈彌功氏によれば、

「私の20年以上に及ぶスカウト経験でも、No.1の投手といっていいかもしれません。メジャー契約を結ぶには最短であと4年ほどかかる。彼のような高身長で細身の選手の身体が出来上がるのもその頃でしょうから、そこまで無理せずやってほしい。順調にいけば、田中投手がNYヤンキースに行った際の約160億円を大きく上回る額での契約が十分可能だと思います」

 怖いのは、やはり怪我だけか。

「怪物」の進化はまだまだ始まったばかりである。

週刊新潮 2022年5月5・12日号掲載

ワイド特集「黄金郷へ」より

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