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覚醒する朝鮮人

 宣允植は、戦時中、陸軍士官学校を志願していた。

「『士官学校受けるんだって?』『そうだ。受ける』『なんで?』『だって、軍人にならなくちゃ、国のために尽くさなきゃ、天皇陛下のためにお役にたたなくちゃ』『何? 天皇陛下のため? お前何のために死ぬんだ?』って。聞いたこともない問題を出すんだ。要するにこういうことだ。自分の国をとった日本の大本の天皇陛下のために死ぬ、お前どうかしてるんじゃないか。それでやめました」(同前)

 宣允植は国家の意志で皇民になったものの、「天皇陛下」を民族として受け止めることができない複雑な思いを抱えていた。そしてこの会話を機に、朝鮮民族のDNAが呼び覚まされ、共産主義思想に傾斜していく。

 当時はそうした青年たちの受け皿は共産主義しかなかった。共産党のみが天皇制に真っ向から挑み、唯一のグローバルなイデオロギーを確立した政治集団だったからだ。そして戦後、新しい朝鮮の建国に燃える在日朝鮮人のインテリたちが手を携えるにあたっても、この共産党以外に選択肢はなかった。彼らは敗戦国民となった日本人と一線を画し、自らを準連合国民と位置付けて、「解放された民」として覚醒するのだ。

朝鮮分断の影響

 戦後、朝鮮人青年たちを共産主義に走らせたもう一つの大きな理由は、朝鮮半島の分断にあった。

 朝鮮半島は玉音放送の後にも春を迎えることはなかった。終戦直前の1945年8月8日、ソ連は日ソ不可侵条約を無視して日本に宣戦布告し、関東軍が撤退する満洲、朝鮮半島へと南下した。このため朝鮮半島では、大日本帝国陸軍がどこで降伏するかにより、人々の運命は大きく左右されることになった。

 連合国軍から一般命令(連合国最高司令官総司令部指令)が出されると、日本本土、フィリピン、北緯38度以南の朝鮮にいた帝国陸軍は米国マッカーサー元帥に対し降伏をした。北緯38度以北にいた帝国陸軍はソ連軍に対し降伏をした。

 ヨシフ・スターリンは特に北朝鮮と満洲の日本の工業力を強く欲し、千島列島はもとより、東は釧路から西は留萌まで北海道の北半分を要求したが、幸いにもトルーマン大統領は日本の一括統治を守り、分割統治案を一蹴した。

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