「天龍さん、全日本に残る選択はあるんですか?」苦渋の表情を浮かべる天龍源一郎と向き合った瞬間 伝説のカメラマンが明かす舞台裏

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「まあ、飲んでよ」

「ミスタープロレス」天龍源一郎の自宅。テーブルの上に缶ビールが置かれた。1990年5月2日のことである。まだ昼間ではあるが、天龍との取材では一杯やりながら、というのはいつもの事だ。杯が進むうちに、シリーズや試合の振り返りから今後の展望など、会話も弾むところである――だが、この日はそうではなかった。

「天龍さん。全日本に残る、という選択はあるんですか?」

 質問する相棒のK記者の質問に、まっすぐに答えず、苦渋の表情を浮かべる天龍。こんな姿を見るのは初めてのことだった。それだけ悩みに悩んだ上での決断だったのだろう。

 6日前の4月26日。「天龍・全日本プロレスを電撃退団」という衝撃ニュースがマット界を駆け巡った。同じ時期に、メガネスーパーがプロレスに参入するのではないかといううわさが飛び交っていた。新団体を設立するからにはそれ相応のエース=スーパースターが必要になる。それは一体、誰なのか。熾烈な取材合戦が始まっていたのである。

 これはもうSWS入りを決断しているな――ファインダー越しの天龍の表情を見ながら、私は思った。

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 元内外タイムス写真部長・山内猛氏の著書『プロレスラー―至近距離で撮り続けた50年―』(新潮社)に収められなかった取材秘話である。

 50年もの長きにわたり、プロレス取材の第一線で撮影を続けてきた山内氏。数々の名試合に立ち会っただけでなく、試合外でのレスラーたちの素顔も撮り続けてきた。山内氏の撮影位置を追えば間違いのない写真を撮れるからと、若手や新人カメラマンがその大きな背中を追い続けた。時に「歩くシャッターチャンス」と呼ばれた山内氏が振り返る昭和・平成のプロレス黄金時代。著書に収めきれなかったエピソードと写真を紹介する連載最終回は、天龍源一郎のSWS移籍やジャイアント馬場との関係など、興味深いエピソードの数々である。

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馬場元子夫人に嫌味を言われた写真

 前回の記事で紹介した私の相棒K記者は、全日本プロレスとの関係を築き上げていく中で、水面下で大きなネタを追っていた。それは当時、全日本プロレスのリング上で活躍していた天龍や阿修羅・原らが組織していた天龍同盟の動向である。K記者は90年3月の全日本プロレスの地方遠征の際、移動するフェリーの中で、馬場から「(天龍が)天龍同盟を解散したいと言っている」との証言を得、スクープとして報じていた。

 冒頭の5月2日の取材では、全日本退団の理由やこれからの事などを聞き、翌日の内外タイムスの紙面を飾った。天龍の前に缶ビールが写っている写真である。

 5月10日、メガネスーパーは天龍の入団を正式に発表する。名の知れた企業によるプロレス参入ということもあり、スポーツ紙はもちろん、一般紙、また経済紙までが記者会見に詰めかけたのを覚えている。

 数日後のことだ。私とK記者がジャイアント馬場の元子夫人とばったり出くわした。

「お酒を飲みながらの取材ですか?」

 なんとも嫌味タップリな言い方だった。馬場が天龍のSWS入りに激怒していることは知っていた。もちろん、元子夫人も。特ダネで浮かれている私とK記者に何か言いたくて仕方なかったのかもしれないが、私たちは苦笑いでやり過ごすしかなかった。

馬場に贈ったちゃんちゃんこ

 1月23日はジャイアント馬場の誕生日だ。ただ、1998年のそれは特別なものとなった。還暦のお祝いである。

 今となっては懐かしい話だが、その昔、プロレス担当記者には明確な派閥があった。猪木派か馬場派か、である。しかし、私の所属していた新聞社、雑誌、フリーのカメラマンらで組織する「プロレス写真記者会」にはそのようなことはなかった。そこで、記者会として、馬場にサプライズで還暦のお祝いをしようということになり、どういう経緯だったのかは忘れたが、私に一任されることになった。

 さて、どうするか? 家であれこれ考えたのだが、全日本プロレスのレスラーたちの衣装やシューズを作っている業者を思い出し、そこでちゃんちゃんこを作ってもらうことにした。プレゼントはあくまでサプライズということだったので、事前に馬場に漏れぬよう、サイズについては馬場の背広を作っている業者に頼み、採寸サイズを教えてもらった。

 試合でもセレモニーがあったが、その前にカメラマンを集めて、ちゃんちゃんこを着た姿を撮影した。

スーパースターのすごみ

 私の著書にも載せているが全盛期の馬場の写真は本当に素晴らしい。ジャイアント馬場というと、読者によっては、晩年のスローモーな馬場しか思い浮かばない方もいるかもしれない。だが、プロレス入りする前、読売巨人軍に入団した身体能力は伊達ではない。長い足から繰り出されるハイキックは、見事としか言いようがない。全盛期の馬場の迫力はすさまじかった。

 キックも、チョップも、そして流血のラフファイトも、どれをやっても一流である。前回で猪木のプロフェッショナルぶりに言及したが、馬場も負けていなかった。

 最後になるが、取材に協力していただいた選手、団体関係者。そして一緒に現場を踏んだ同業者の皆さんに御礼を申し上げたい。

 終わり

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『プロレスラー―至近距離で撮り続けた50年―』で紹介されている写真を巡る秘話や、未掲載の写真などより構成。

山内 猛(ヤマウチ・タケシ)
1955年2月23日、神奈川県鎌倉市出身。大学卒業後、写真専門学校を経て1980年、内外タイムス社入社。編集局写真部記者(カメラマン)として、高校時代より撮り始めていたプロレスをメインに担当する。同社写真部長を経て、フリー。2022年4月現在は共同通信社配信の「格闘技最前線」で写真を担当する他、週刊誌等で取材を続けている。

デイリー新潮編集部