一流と二流の差とは? 伝説のカメラマンが明かす「魅せるレスラー」の共通点

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 リングサイドで取材してきた私にとって、日本人、外国人を問わず、残念だなぁと思ってしまうレスラーは、表情に乏しい選手だ。せっかく得意技を決めている、あるいは決めた直後なのだから、客席に向かって大いにアピールしてほしい場面で、下を向いてしまう選手。性格もあるのだろうが、ドヤ顔ができない選手。――やはり、一流の選手は表情まで含めて完璧に決まっている。プロフェッショナル意識が半端ではないのだ。

 特にその点が徹底していたのはやはり、アントニオ猪木だろう。

 2021年、アントニオ猪木は自身の闘病の記録をNHKの番組で公開した。難病を前にしても、不屈の闘魂は健在だった。その姿に、改めて猪木から勇気や希望をもらったファンも多いのではないか。

「かかってこい! さぁ来い、この野郎!」

 試合中の猪木は、最初から最後まで「闘魂全開」。私の著書の中にも入っているカットだが、入場する通路上からリング上で待ち受ける対戦相手をにらみつけ、入って来る。その姿に「猪木!」コールを送り、熱狂するファンたち――。

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 50年もの長きにわたり、プロレス取材の第一線で写真を撮り続けてきた元内外タイムス写真部長・山内猛氏。同氏が刊行した『プロレスラー―至近距離で撮り続けた50年―』(新潮社)では、昭和・平成のプロレス黄金時代を、140点もの秘蔵写真と共に振り返っている。

 プロレス取材の現場で数々の「過激写」をモノにしてきた山内氏。関係者をして「ファイティング・フォトグラファー」と呼ばしめた同氏の著書の中に収まらなかった写真やエピソードをつづる連載3回目は、レスラーたちのプロ意識である。リングサイドからはもちろん、リング外でもレスラーたちの姿を至近距離で収めてきた山内氏にとって、強く印象に残るレスラーに共通するのは、どのような点なのだろうか。その辺りから振り返ってもらおう。

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職業意識の高さ

 格闘技のメッカ、東京・水道橋の後楽園ホール。控え室前の廊下でのことである。

 私たちがバックヤードを取材しようと歩いていくと、目の前に立つ、あの男――。

「テレビカメラは回っていないし、ここは普通にやり過ごすだろう」

 と思ったのも束の間、男は大声で叫びながら我々カメラマンに向かって突進してくる。運悪く捕まったカメラマンは頭を小突かれ、頭頂部を噛みつかれそうになる。

 男はタイガー・ジェット・シン。観客はいないのだし、何もこんなところでいつもと同じことをしなくても……と思われるかもしれない。しかし、プロレスラーの職業意識の高さは半端ではない。「インドの狂虎」と呼ばれたシンは、どんな時でも手を抜かないのだ。もちろん、同じレスラーではなく、素人を相手にする時は手加減しているのは当然である。

 私は高校生のアマチュア時代からプロレスを撮影している。その頃の憧れは「千の顔を持つ男」ミル・マスカラスだった。当時、来日したマスカラスの宿泊先のホテルを訪ねて写真を撮り、実際に身に着けていたマスクをもらったことがある。彼にすればホテルで私服に着替え、早く休みたいところだろう。しかし、いきなりやってきた不躾なファンを前にしても気軽に撮影に応じ、快くマスクをくれる。まさに1年365日、24時間、ミル・マスカラスなのである。

プロレス記者の苦労

 そんなレスラーたちを取材する我々プロレスマスコミにも、それ相応の闘いがある。いかにして特ダネをとるか――。

 私のいた内外タイムス(現在は休刊)は多士済々、と言いたいところだが、編集局は呑兵衛ぞろい。サムライも猛者も同居する、とにかく個性の強い記者ばかりだった。私の青春と人生を捧げた、本当に素晴らしい職場だった。プロレス取材では多くの記者とコンビを組んで現場に出かけたが、その中で忘れえぬK記者の話をしたい。

 体育会系のノリが抜群のK記者は、全日本プロレスと肌が合ったのか、試合のある日は早めに会場に行き、スタッフと一緒にリング設営を手伝うなど、取材のイロハのイである「顔と名前を覚えてもらう」のが早かったと思う。

 ある地方遠征に取材に行った際、あれこれと出費がかさみ、K記者の手持ちの金がなくなってしまった。困り果てて他社の先輩記者に相談すると、こう言われた。

「馬場さんに金を借りればいいんじゃない?」

手土産とともに……

 プロレス界では創設した力道山の出身から、大相撲と同じ符牒を使う。借金は「端紙(ハガミ)」というが、この時、K記者は戸惑いながらも馬場の控え室をたずねた。

「馬場さん。ハガミ、ごっちゃんです!」

 馬場は黙って分厚い財布を渡し、K記者は3万円を抜いた。外に出ると、件の先輩記者がいたので「大丈夫です。貸してもらえました」と言うと「なんだ、頼めば本当に貸してくれるのか」と返され、その先輩記者も控え室に入っいったという。

 遠征から戻り、K記者は馬場が甘党であることからようかんを手土産に、金を返しに全日本プロレスの事務所に出向いた。

「馬場さん、この前はありがとうございました」

 と言って、手土産と共に3万円を返すと、馬場は何とも不思議そうな顔をしながらK記者の顔を見つめていたという。金を借りても、きちんと返しに来る人はあまりいなかったのだろうか。ただ、この一件以来、馬場は「一担当記者」だったK記者を「内外タイムスのK」と認識し、何かというと声をかけ、細かい取材にも対応してくれるようになった。

 やがて、内外タイムスの紙面にも特ダネが載るようになっていくのである。

 第4回へつづく(5月1日配信予定)

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『プロレスラー―至近距離で撮り続けた50年―』で紹介されている写真を巡る秘話や、未掲載の写真などより構成。

山内 猛(ヤマウチ・タケシ)
1955年2月23日、神奈川県鎌倉市出身。大学卒業後、写真専門学校を経て1980年、内外タイムス社入社。編集局写真部記者(カメラマン)として、高校時代より撮り始めていたプロレスをメインに担当する。同社写真部長を経て、フリー。2022年4月現在は共同通信社配信の「格闘技最前線」で写真を担当する他、週刊誌等で取材を続けている。

デイリー新潮編集部

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