愛子さまと悠仁さま、知られざる「本家」と「分家」の違いは「生まれてすぐ」から

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男の子は「仁」、女の子は「子」

 皇室では、平安時代からの伝統で、名前は2文字が原則となっている。男の子は「仁(ひと)」、女の子には「子」を入れる。「仁」は天安2(858)年に即位した清和天皇の「惟仁(これひと)」が始まりで、「有徳の人」などの意味があるとされている。

 また称号は、江戸時代の中期ごろから、誕生の7日目に天皇や上皇が贈るようになった、といわれている。

 明治以降は旧皇室親族令に基づき、お七夜の日に命名の儀を行って、天皇が自分の子供と皇太子家の子供の名前と称号を選ぶようになったことから、戦後もそれが踏襲されている。

 この名前と称号は、四書五経や「万葉集」など中国と日本の古典や、詔勅(天皇が意思を表示した文書)を出典にするのが通例だ。

「ヒサヒト」さまは「Hi・Hi」

 父親が名前を決める宮家では、命名の方法についての厳密な決まりごとがない。

 秋篠宮さまは、長女の眞子さまと二女の佳子さま誕生の際、命名の儀の前に、学者の意見を参考に、紀子さまと相談しながら、すでに自分で名前を決めていた。

 悠仁さまのケースでも同様だった。秋篠宮さまが、出典より大事にしたのは、「音の響き」と「意味」だったという。宮内庁によると、命名の儀の前日まで迷い、「悠」の字の意味や「ひさひと」という響きで決めたそうだ。「悠」の文字は、秋篠宮さまが国語学者や漢学者の意見を参考に、天皇、皇后両陛下や紀子さまとも相談した上で決めた。

 選考は妊娠8カ月目になる7月ごろに始まり、記録が残っている範囲で、歴代の天皇や男子皇族の名前に使われていない文字であることが、前提とされた。

「悠」の字には、「ゆったりとした」とか「長い」といった意味があり、ゆったりとした気持ちで長く久しく人生を歩んでほしい、という秋篠宮ご夫妻の願いが込められている。

 だが関係者は、このネーミングにはもう一つ隠された意味があるのではないか、といい、「昭和天皇を意識されたネーミングではないか」と打ち明ける。鍵は「音の響き」である。

 秋篠宮さまは、「ひさひと」という読みの響きを、先に気に入り、三つほど候補にあがった「ひさ」と読む漢字を、その意味から、一つに絞っていったそうだ。

 画数などは一切、気にしなかったという。

「ひさ・ひと」は昭和天皇の名前「ひろ・ひと(裕仁)」の響きに近い。どちらも文字の始まりがローマ字で「Hi・Hi(ひ・ひ)」となり、韻を踏んだようになっている。

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 この韻について、筆者の大島氏は「将来の天皇候補にふさわしい名前にしようと、祖父を意識していた可能性は高い」と記している。

 また秋篠宮家については、天皇陛下の即位に伴って、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となられた大きな変化もあった(2020年11月)。

 現時点では、皇位を継承できるのは男性皇族に限られるため、継承順位2位が悠仁さま、3位が上皇さまの弟で86歳の常陸宮さまとなっている。

 愛子さまと悠仁さまそれぞれの新生活に、国民誰もが幸多かれと願っていることだろう。

デイリー新潮編集部

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