80代認知症の母を介護する100歳の父の言葉 「お母さんが一番不安」「お互いさまよ」

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「わしが代わりに覚えとってやるけん」

 鮮明に覚えている両親のやりとりがあります。母が認知症と診断されて数カ月後のこと。母が出し抜けに父にこう聞いたのです。

「お父さんは、私がもの忘れをしよるけん、心配なん?」

 お母さん、いきなり何を言い出すんね? 私は肝を冷やしましたが、父はさらりと答えました。

「そりゃあ家族じゃけん、心配よ」

「お父さんは私が恥ずかしい? 迷惑な?」

「いや、そうなことはないよ。あんたができんようになったことは、わしがやりゃあええだけじゃけんの」

「ほんならえかったわ。ありがとね」

「わからんことがあったら、何でもわしに聞けえよ。あんたが覚えとかんといけんことは、わしが代わりに覚えとってやるけん」

「ほんま? ありがと。そうするわ」

 この話はそれで終わり。その後は何事もなかったかのように別の話題に移りました。

「お互いさまよ」

 私は母の奇襲に驚きましたが、それよりも父の率直さに感動していました。母が気にしている「もの忘れ」をさらりと認めた上で、自分の思いを伝え、母を安心させたのです。

 父はおそらく、母を介護しているという意識はあまりないのだと思います。ただ、母と一緒に一生懸命、毎日を生きているだけなのでしょう。60年間、夫婦で積み重ねてきた日々の続きを。

 父は母に、こうも言っていました。

「たまたまあんたが先に具合が悪うなったが、わしが先ならあんたに面倒みてもらうんじゃけん、お互いさまよ。気にすることはないよ。しょうがないことじゃけん」

 私も年をとった時、こんな境地に達したいものだとひそかに憧れています。

 そんな父としばらく二人暮らしをすることになったのは、新型コロナが猛威を振るい始めたのがきっかけでした。

 前作映画の上映会や講演会の仕事がいきなり全てキャンセルになり、スケジュールは真っ白に。この先、一体どうなってしまうんだろうと途方に暮れましたが、親孝行するいいチャンスだと割り切って、実家に帰ったのです。

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