戦禍とアレルギーを乗り越えたジョコビッチ ワクチン接種を強制するテニス界の排他性(小林信也)

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爆撃を受けた場所で

 さらにこう続けている。

〈まさにあの瞬間に、私は自分が他の何よりもほしいものを悟ったのだ。それは、頭上にウィンブルドン大会優勝カップをかかげ、観衆の歓声を浴び、世界一の選手になった瞬間を味わうことだ。〉

 ジョコビッチにとって、最初の“覚醒の時”だった。

 希望を抱いたジョコビッチだが、平和な歩みは保証されていなかった。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こり、住む街も空爆を受け、78夜続けて防空壕で過ごした。目の前で病院が吹き飛ばされ、ジョコビッチは地面に投げ出された。それでもゲンチッチと街のどこかで落ち合い、練習を続けた。前日爆撃を受けた場所なら安全だろうと読んで、その周辺で空き地を探した。

 ゲンチッチはジョコビッチにテニス以外の幅広い視野や情操をもたらした。クラシック音楽を薦め、詩を読ませた。ゲンチッチが好きだったのは、ロシアの反骨の詩人プーシキンだった。両親には外国語の習得を勧められ、英語、ドイツ語、イタリア語を学んだ。そうした姿勢はジョコビッチの感受性や人間性の成長に大きな影響を与えただろう。

 戦火の中でもテニスを続けたジョコビッチは、2008年の全豪オープンに優勝。20歳8カ月で最初の四大大会を制覇した。しかし、そのままトップの座には君臨できなかった。試合中、呼吸困難に陥るなど、しばしば棄権を余儀なくされたからだ。著書にこうある。

〈世界最高といえる存在が2人いた。フェデラーとナダルだ。そしてこの2人からすれば、私など、たまに出てきて、少し苦しくなるとすぐ棄権してしまう“雑魚”にすぎなかった。(中略)私はまだ第二集団の中でもがくだけの存在だった。〉

 異変の原因を見抜いたのは、セルビア出身の栄養学者イゴール・セトジェヴィッチ博士だ。検査を受けると、グルテン・アレルギーだとわかった。博士の処方どおりグルテン・フリーの食事に変えると、鼻づまりや喘息のような症状がすっかり改善した。試合中の異変も起こらなくなった。

 誰もが美味しく楽しんでいるスパゲッティーやピザが、彼にはまるで毒物のように作用するのだ。

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