中日・立浪監督が振り返る、現役終盤の「代打時代」 「腹が立ったけど、それも勉強」(小林信也)

  • ブックマーク

Advertisement

「星野仙一監督はすごい人や思いますね。高卒の新人をいきなりショートのレギュラーで起用するなんて、自分には無理です」

 キャンプから半月が経ったころ、中日ドラゴンズの監督・立浪和義が言った。

 立浪は34年前、PL学園からドラフト1位で入団。1988年の開幕戦から「2番ショート」で起用され、この年は110試合に出場を果たした。前年のショート宇野勝をセカンドに回しての起用だった。セ・リーグで開幕戦に先発出場した高卒新人野手は57年の並木輝男(阪神)、59年王貞治(巨人)以来29年ぶり3人目。6回には初安打となる二塁打を打った。

「プロでショートを守って、捕れないほどすごい打球はありませんでした。まあ、外国人選手の強い打球はありましたけど、プロとアマの違いは何か? 一番は『毎日試合があって、結果が出ること』です。チームに迷惑をかけないように必死でした。技術より、心が追い付かなかった」

 守備は、PL学園で叩きこまれた基本がプロでも役に立ったという。

「PL学園では、シートノックだけ1年生も全員参加できたんです。上級生の後ろに並んで、先輩を見ながら勉強しました。中村順司監督に『腕を振って追え』と教えられました。それがプロでも生きました」

 内野手はゴロが飛んで来るとすぐグラブを前に出し、捕球体勢に入りながら動きがちだ。これを厳しく戒められた。両腕を振って走る。捕球する時にグラブを出す。こんなところにPL学園の強さの秘密があった。そしてそれが、プロでもショート立浪を支え続けた。

次ページ:三盗を許すと

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。