島民が甲子園に殺到!選抜高校野球、ファンの記憶に残る“離島勢の大健闘”

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 第94回選抜高校野球がいよいよ3月18日に開幕した。出場32校の中で“離島の星”と話題を集めているのが、最速146キロ左腕・大野稼頭央を擁し、8年ぶり2度目の出場の大島(鹿児島県奄美市)だ。前回は21世紀枠だったが、今回は前年秋の九州大会で準優勝し、初の一般枠選出とあって、甲子園での戦いぶりが注目される。そして、過去にもセンバツで旋風を起こした離島のチームが存在した。そんな記憶に残る“さわやかチーム”の足跡を振り返ってみた。【久保田龍雄/ライター】

「瀬戸内少年野球団」のモデル

 全国の離島勢の中でも春夏通じて初めて甲子園出場をはたし、いきなり優勝。阿久悠氏の小説「瀬戸内少年野球団」のモデルにもなったのが、1953年、兵庫県の淡路島からやって来た洲本である。

 前年秋の近畿大会4強の洲本は、北口勝啓と加藤昌利のバッテリーを中心にまとまった好チームながら、大会前に監督が病気で倒れ、24歳の広瀬吉治コーチが昇格したばかりとあって、ほとんどノーマークだった。

 だが、初戦で優勝候補の中京商(現・中京大中京)を2対0で下すと、準々決勝の時習館戦も1対0で逃げ切り。さらに準決勝も、優勝候補の小倉に5対1と快勝した。この日地元・淡路島では、早朝に汽船をチャーターし、1200人が甲子園に乗り込んだが、前夜からの宿泊組を併せると計4000人。人口3万8000人の島の1割以上が応援に駆けつけた。スタンドのあちこちで、緩いアクセントの淡路弁が聞かれ、淡路島に行ったと錯覚するような雰囲気だった。

淡路島開闢以来の出来事

 翌4月6日の決勝戦、相手はこれまた強豪の浪華商(現・大体大浪商)。後にヤクルトの名スカウトになった片岡宏雄が4番捕手だった。浪商の名前に委縮してもおかしくないところだが、実は、広瀬監督は同校OBで、戦後初の夏の大会となった46年に捕手として全国制覇した経歴の持ち主だけに、手の内はよく知っている。初戦から「負けてもともと」と無欲で勝ち進んできた洲本ナインにも気負いはまったくなかった。

 1回に2点、2回に1点を挙げた洲本は、雨で45分の中断を挟みながらも流れを手放さず、6回にも4番・加藤の三塁打で1点を追加。北口も低めを丁寧について打たせて取り、浪商打線の鋭い当たりはことごとく野手の正面をついた。

 4対0の完勝で初出場Vの快挙に、広瀬監督は「皆よくやってくれて、こんなうれしいことはない」と感激し、梶和三郎校長も「淡路島開闢以来の出来事だ。これで島が何十倍も大きくなったようだ」と涙を浮かべた。広瀬監督はその後、母校・浪商の監督になり、牛島和彦と香川伸行のバッテリーで出場した79年のセンバツで準優勝している。

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