公安警察官に反面教師として教えられる「キャノン中佐」 250人殺害した男のロシアと共産党嫌い

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「悪魔の弾丸」

 キャノン機関の“悪行”は、1951年11月の鹿地事件で発覚した。

「中国共産党と関係のあった作家の鹿地亘を拉致し、旧岩崎邸の地下で監禁したのです。そこでスパイになるよう強要したのですが、岩崎邸の日本人コックが鹿地の家族に通報したことで事件化しました。鹿地は、その後国会などで拉致、監禁されたときの様子を証言したため、キャノン中佐の名前が世間に知られることになったんです」

 1949年7月6日、下山定則国鉄総裁が轢死体で発見された「下山事件」、1949年7月15日、三鷹駅構内で無人列車が暴走した「三鷹事件」、1949年8月17日、福島県の東北本線で列車が転覆した「松川事件」は、いずれも共産党関係者が関与したと見られる事件であったことから、キャノン機関が関わっているのではないかという憶測も流れた。

 鹿地事件から4カ月後の1952年3月、キャノンはアメリカに帰国した。その後、軍法会議にかけられたが、不問にふされ、陸軍も退官した。

 キャノンは陸軍を退官しても、武器への執着心は抜けなかった。殺傷能力の極めて高い銃弾を自ら開発しているのだ。

「その特殊な銃弾は、何百個からなる極小の破片からなり、外側をプラステックで覆っています。この銃弾で撃たれると、体内に入った弾丸は瞬時に炸裂し、破片は心臓、肺、肝臓など四方八方に突き刺さるそうです。1発で即死するので『悪魔の弾丸』と呼ばれています」

 キャノンは、この銃弾を知人の警察官に渡したこともあったという。

「警察官がこの銃弾で麻薬運び人の頭を撃ったところ、弾丸の破片は瞬時に頭から足まで駆け巡ったそうです」

 キャノンは自宅のガレージを弾丸製作工場に改造し、何千という「悪魔の弾丸」を生産、売却したという。

 もっとも、キャノンは晩年うつ病を発症する。
 
「彼は、メキシコ国境に近いテキサス州のエジンバーグに住んでいましたが、1981年3月8日、自宅ガレージでピストル自殺をしています。使用されたのは『悪魔の弾丸』でした。なぜか2発の弾丸が撃ち込まれていました。弾痕は胸と腕の付け根にありましたが、1発で即死するはずなのに、なぜ2発撃てたのか。他殺説も考えられますね」

勝丸円覚
1990年代半ばに警視庁に入庁。2000年代初めに公安に配属されてから公安・外事畑を歩む。数年間外国の日本大使館にも勤務した経験を持ち数年前に退職。現在はセキュリティコンサルタントとして国内外で活躍中。「元公安警察 勝丸事務所のHP」https://katsumaru-office.tokyo/

デイリー新潮編集部

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