ウクライナ侵略でいよいよ他人事ではなくなった… 沖縄・石垣市の市長選で考えた尖閣有事

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侵入を繰り返す中国海警局公船は10年で3倍超に増え日本を圧倒

 中国海警局は2018年に国務院の管轄から離れ、中央軍事委員会に所属する武装警察の指揮下に入った。日本の海保は国土交通省の管轄下にある。尖閣が国有化された平成24年(2012)年当時、1千トン以上の中国海警局の公船は40隻だったと言われるが、海上保安庁によると、令和2年(2020)末時点での推定で131隻にまで増えているという。日本は全国合わせても1000トン超の巡視船は69隻だから、力の差は歴然だ。

 前述した尖閣の国有化だが、今から10年前の平成24年(2012)に当時の石原慎太郎都知事(故人)が埼玉県在住の地権者からの購入を決めたのがきっかけだった。呼びかけに応じて14億円余の寄付金が集まったが、混乱を避けるという理由で野田佳彦首相が国有化した。この年は国交回復40年にあたり、当時の習近平国家副主席と横路孝弘衆院議長の会談に同席した駐中国大使の丹羽宇一郎氏(元伊藤忠商事会長)が「(尖閣購入を支持する)日本の国民感情はおかしい。日本は変わった国なんです」と発言、後に更迭された。「媚中(びちゅう)」とはこういうことを言うのだろう。

 石垣市は令和2年(2020)10月、議会の承認を得て尖閣の島々の住所の字(あざ)を「登野城(とのしろ)」から「登野城尖閣(とのしろせんかく)」に変更した。登野城は市内でも人口の多い地区の字名でもあるため、区別しにくいという事情によるものだ。例えば魚釣島の地番表示は「沖縄県石垣市字登野城尖閣2392」となった。石垣市は尖閣の5つの島の地番を表示する標柱を作り、令和3年9月、設置のための上陸申請をしたが、政府(総務省)はこれを不許可にした。尖閣諸島には昭和44年(1969)に当時の市長らが上陸してコンクリート製の標柱を設置した前例があり、変更のための上陸を許さないというのはどうみても筋が通らない。同市は上陸の再申請を検討しており、標柱は石垣港離島ターミナルの「尖閣諸島情報発信センター」に展示されている。

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