プーチンの背後に見え隠れする「支持者」の存在 世界を敵に回しても成し遂げたい“真の狙い”とは

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 2014年のクリミア危機と地続きというべき今回のウクライナ侵攻。「歴史」を読み替えることでウクライナを「ナチス呼ばわり」して、ロシア兵、ロシア国民の感情をあおってきたが、それだけで侵攻に及んだと考えるのは早計だ。

 世界を敵に回してまでウクライナに侵攻するプーチンの真意とは何か――。「歴史」のみならず、そのために仕組んだ危険すぎる「国家観」、「民族観」の読み替えと、見え隠れするプーチンの「支持者」たちの存在……。

 プーチン研究の第一人者、米ブルッキングス研究所シニアフェローのフィオナ・ヒル氏の渾身の一冊『プーチンの世界―「皇帝」になった工作員―』の一節より、現在に連なる重要な一節を紹介しよう。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

 歴史を武器として使うことによって、プーチンはウクライナの民族間の緊張や恐怖に薪をくべた。次に彼が訴えたのは、たとえどこに住んでいようとも、ロシア民族とロシア語話者を攻撃から守るのが国家の権利と義務であるということだった。

 この権利は、1990年代初頭にボリス・エリツィン大統領が初めて主張したもので、のちにロシアの軍事政策へと正式に盛り込まれた。プーチンはこうした義務と、意のままに操ることのできる法律の力を駆使し、2014年5月25日に予定されていたウクライナ大統領選挙に先駆けて、クリミア半島を実効支配した。

 プーチンがこのときに道具として用いたのは、クリミア半島へのロシア黒海艦隊の長期駐留を認めるウクライナとの二国間条約、ロシアの支援を求めるヤヌコーヴィチ(元ウクライナ)大統領(注:反政府デモにより2014年にロシアに亡命)や地方当局の要望、ロシア議会の決議だった。

 これらの道具は、軍や民間の建物やインフラを守る治安部隊の活動を法的に援護するものだった。そして、3月16日に慌てて行なわれたクリミアのロシア併合に関する住民投票が、今回の行動を正当化する最後の要素となった。

 表面的には、クリミア併合はロシアの民族主義者やロシア正教会への究極のプレゼントに見えた。クリミアのロシア民族性を認めることによって、プーチンは入念な計算のもと、ソ連時代の過去と決別した。聖公ウラジーミル(注:ウラジーミル1世。キエフ大公国をキリスト教化した)の洗礼の場所であるクリミアは、ロシア正教会の忠実な信徒と深いつながりがある場所としても重要な意味を持っていた。また、クリミア半島がロシア連邦に再び編入されたのは、ロシアとの歴史的なつながりがあるからだけではなく、明らかな「ロシア民族の(russkiy=ルスキー)」地だったからだ。この点は、プーチンのミレニアム・メッセージ(注:1999年12月、大統領代行に就任する直前のプーチンが発表した論文『新千年紀を迎えるロシア』。プーチンの“マニフェスト”として理解される)の枠組みからの大きな飛躍だった。

 ミレニアム・メッセージでは、彼は民族としてのロシア民族性について明確に言及しないよう細心の注意を払っていた。反対に、ロシアの多民族国家としての性質や状態をしきりに訴えていたのだ。russkiyという単語はその変化形も含め、ミレニアム・メッセージには一回も登場しない。対照的に、多民族のロシア国家やその市民を指す「ロシアの(rossiyskiy=ロシイスキー)」という形容詞は、ロシア国民(rossiyskiy narod=ロシイスキー・ナロード)やロシア思想(rossiyskaya ideya=ロシイスカヤ・イデヤ)など頻繁に使われている。(中略)

クリミア占領を正当化するための“メッセージ”

 しかし、クリミア併合時の演説において、プーチンはロシア民族を意味するルスキーをかつてないほどに連呼した。

 ウクライナ作戦では、ミレニアム・メッセージとは違う言い回しが必要だった。1999年から2000年にかけてチェチェンとの戦争が再発し、ロシア連邦がバラバラになりかけると、プーチンは何とかロシアを多民族国家として維持しようとした。ロシア民族以外のロシア人、つまりチェチェン人をロシアへと引き戻す必要があった。そのためには、ロシアの民族や宗教の多様性の意義、ロシア国民の市民性の高さを説くしかなかった。プーチンとしては、国家のロシア民族的な要素やロシア正教会的な要素は二の次にせざるをえなかったのだ。

 一方で2014年のプーチンは、ウクライナを何とかロシアの軌道上にとどめようとしていた。その一つの方法が、歴史的に指定されたロシア世界の土地、ロシア民族の世界、聖なるルーシ(注:ここではロシア正教を示す)の世界、正教徒全体を再統一するというものだった。そのためには、以前の枠組みを、少なくとも作戦のあいだだけ一時的に放棄する必要があったのである。

 russkiyへと視点を切り替えたのは、プーチンにとって計算された戦術的な動きであり、戦略的な変化ではなかった。クリミア占領を正当化するには、ロシア国内外で理解される明確なメッセージを伝える必要があった。

 クリミアはわれわれのもの。歴史、文化、言語――あらゆる点から見てロシアの領土である。歴史の偶然(と一部のソ連の指導者や役人の判断ミス)のせいで、ロシアから切り離されてウクライナに残っただけ。それでも、ウクライナとロシアが同じ制度的取り決めで結ばれているあいだは容認できた。しかし制度的取り決めがなくなった今、あるいはなくなりそうな今となっては、もう我慢も許容もできるはずがない。そこで、プーチンはやむにやまれず措置を講じた。

 プーチン、クレムリン、露メディア、外務省、ロシアの評論家たちは、ことあるごとにこのメッセージを広めようとした。実際、このメッセージはロシア人の心を打ち、クリミア併合はロシア国内ではおおむね支持された。さらに、プーチンのメッセージは、ロシア国外でも、ソ連時代の古き良き安定や連帯を懐かしむ多くの人々の心を打った。

「クリミアはわれわれのもの!」

 14年3月にタジキスタンの首都ドゥシャンベを訪れたある人物は、プーチンがクリミア併合の書類に署名した際、ロシア民族ではないタジク人が街頭で「クリミアはわれわれのもの!」と叫んでいるのを見て仰天したという。また、国境によって分断された世界じゅうの愛国者集団からも、プーチンの行動は一定の評価を得た。彼らにしてみれば、クリミア併合は過去の間違いを正し、かつての秩序を戻すための行動だったのだ。(以上引用 一部、表記変更)

〈russkiy=ルスキー〉と〈rossiyskiy=ロシイスキー〉の違いは、われわれ日本人にはなかなか理解しにくい概念かもしれない。だが、プーチンにとってロシアという複雑な国家を束ねるためには、それを使い分け、さらに押し通す必要があった。そしてこの恐るべき“ねじ曲げ”を支持する者たちがプーチンの原動力であるならば……。

 モスクワでも繰り広げられる反戦デモに、私たちはしばしばロシア人の良心とこの先の光明を感じ取る。しかし、一方でウクライナ侵攻を熱烈に支持する勢力があることは、けっして見過ごしてはならない事実なのである。

【前編を読む】「歴史」をねじ曲げるプーチンの危険すぎる思想――ウクライナを“ナチス”と呼びつける理由

デイリー新潮編集部

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