「将棋盤から黄色い光が上がり、私の手はそれに導かれるように……」東大生が体験した本当に怖い話

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 怪談といえば、非科学的で非論理的なものとして扱われる。それでは、日本最高の頭脳を持ち、論理的思考に長けた東京大学出身者でも説明がつかない不思議な体験=怪談はどうだろうか。自身も東大出身で、映画監督の豊島圭介さんの著書『東大怪談 東大生が体験した本当に怖い話』(サイゾー)から、抜粋して紹介する。

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 1989年に東大理科1類入学、現在40代の男性Tさんは、東大に籍をおきながら京都大学で博士課程に進んだ。しかし、折り合いの悪い教授の下での研究に大きなプレッシャーを感じ、精神的な不調で地元の病院の精神科に入院することになった。以下はTさんの体験談である。

“ノストラダムスの救世主”は自分だ

 入院中は、とにかく疲れていて、薬を飲んで横になるだけの生活です。簡単には眠れず、ちょっと寝て、朝五時六時には目が覚めてずっと起きている。足もムズムズして落ち着かない。起きている時間は、レクリエーションルームで時間をつぶしたり、煙草を吸ったり、ご飯を食べるだけ。

 実は、入院前から妄想が始まっていました。当時、1999年が迫っていたんです。いわゆる世紀末。五島勉の「ノストラダムスの大予言」が世界の滅亡を予言して世間をにぎわせていた頃です。その中に「ある一人の日本人が立ち上がり、世界を救うだろう」という一説があったんです。なぜか私は、その日本人こそ自分だと信じていた。

「世界が破滅に向かっている今、絶対に自分は倒れるわけにはいかないんだ」

 という強い責任を感じました。どこからか「倒れちゃだめだ」という声も聞こえてきました。それがまた大きなプレッシャーとして自分にのしかかっていたんです。地球の運命を左右するんですから、その重みは想像していただけると思います。まあ、それに耐えきれず私は入院するわけですが……。

 そんな日々をひと月くらい続けた頃、退院が決まりました。自殺願望がなくなったと判断されたのでした。

現実と妄想の区別がつかない

 大学はやめました。自分は研究者に向いていないとあきらめたんです。例の教授からはねぎらいの言葉もなく、誰も助けてくれない中、独力で就職活動を始めました。国家公務員一種(現在の国家公務員総合職=キャリア、いわゆる各省庁の幹部候補生)も受かりましたが、ストレスフルな毎日が想像できたので、その道には進みませんでした。

 とにかくプレッシャーにさらされない環境を探すのが最優先だったんです。

 結局、東京のコンピュータ会社に就職が決まり、しばらくは順調に働き、平穏な日々を過ごしました。しかし、とある部署との対立が始まったんです。年下のある男が私を目の敵にして事あるごとに責めてきました。失敗は部の責任なのに、すべてが私のせいであるかのような言い方です。その男の顔を見るのも嫌で出社するのがつらくなりました。「殺してやりたい」と思うようになるほどのストレスでした。いくつかの殺し方を考えたりして、気を紛らわそうとしたこともありました。それまで精神状態も順調だったので、薬を減らしていたんです。それが仇になったのかもしれません。また、現実と妄想の区別がつかなくなったのです。

 その男のせいで病気は再発し、私は二度目の入院をすることになりました。

 今度は病名が特定されました──統合失調症でした。

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