銅像も辞退の盗塁王・福本豊が語る真相 「死んだ後に語り草にでもなれば本望」

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“あんな奴がいたな”

 世界の福本となって半世紀、記念の銅像ひとつくらい建ててもらっても罰はあたるまい。なぜ意固地なほど謙虚なのか。

「まぁ、そういう話が出たのはいいことだけど、僕はいらないよ。ハハハ」

 当の福本はそう笑いとばす。

「断った一番の理由は、私の気がすすまなかったから。それだけですわ。むろん、話がこじれたり揉めたりしたわけではありませんよ。そもそも栄誉や名誉、賞なんてものは一生懸命やった後に勝手についてくるもの。自分は死んだ後に、“そういえば、あんな奴がいたな”と誰かの語り草にでもなれば本望と考えている人間ですから。大ファンだったジャイアンツの親会社である読売新聞サイドからいただいたありがたいお話ではあるけど、銅像なんて私の性に合わんのですわ」

「自分の行動に責任持てない人間がもらっていいわけない」

 国民栄誉賞を辞退した時の気持ちと根っこは同じとして、福本はこう振り返る。

「国民栄誉賞というのは重たい賞ですよ。そんな軽々といただけるようなものではありません。自慢じゃないが、私なんて口は悪いし、徹夜でマージャンやるわ、タバコは吸うわ、時には立小便もするわで(笑)。そういう生き方を改める気もないから、自分の行動に自信も責任も持てない人間がもらっていいわけないでしょう」

 荒ぶる韋駄天のごとく球場を駆け回った盗塁王を、ポツネンと立つ銅像に留めて置こうとするのはナンセンスかもしれない。

週刊新潮 2022年3月10日号掲載

ワイド特集「明日はどっちだ」より

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