一枚岩ではないウクライナのロシア感情 西部と東部ではなぜこんなに違うのか

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ソ連崩壊で変化

 だが、1991年にソ連が崩壊すると、ウクライナの情勢も変わる。

「ソ連が東欧を支配していた時は、ウクライナは表面上は一枚岩でまとまっていました。ところがソ連が消滅すると、ウクライナ国内の西部と東部で『ロシアとの距離感』が違うため、微妙な変化が生じるようになります」(同・ジャーナリスト)

 今回の騒動で、ウクライナ国内にある「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」と自称する国家が、ロシアによって独立を承認され、侵攻の口実にも使われた。

「2つの自称国家は、いずれもロシアと国境を接するウクライナの東側に位置し、ロシア派勢力の実効支配下にあります。昔からロシア人が移住してきた歴史を持つほか、ソ連時代も宇宙開発の技術を下支えするなど、ロシア=ソ連経済圏の恩恵を受けてきました。住民の多くはウクライナ語ではなくロシア語を第一言語としています」(同・ジャーナリスト)

 一方の西部は、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニアといった国々と国境を接している。歴史的にはポーランドとの関係が深く、特に古都リヴィウを州都とする最西部のリヴィウ州などは、帝政ロシアの領土となったことはない。

「ソ連時代の教育もあり、西側の住民は今でもロシア語を使えます。ただし、日常生活ではウクライナ語を話す人が多い。ソ連崩壊後、例えばチェコなどEU(欧州連合)に加盟した旧共産圏で働く出稼ぎの外国人労働者は、大半がウクライナ人でした。西側に住む住民が多かったのは言うまでもありません」(同・ジャーナリスト)

東側住民の不安

 ウクライナは世界でもかなり貧しい国として知られる。西部に住む人々は、ヨーロッパの各地で出稼ぎ労働に従事し、故郷にカネを送った。

「西部に住む人々は、ヨーロッパがどれだけ豊かで、カネを稼ぎやすいかを学ぶことになりました。ソ連崩壊後、ウクライナの人々は西欧志向を強めました。それが今回の戦乱の原因となっているわけです」(同・ジャーナリスト)

 だがロシア人にとっては、簡単に「はいそうですか」と言えるような状況ではない。先の関東人=ロシア人、関西人=ウクライナ人いう比喩を使えば、京都人を含む関西人が日本から離脱しようとしている──こんな感じになるかもしれないという。

「プーチン大統領が行ったことは絶対に正当化できませんが、ウクライナの東側に住む人々の不安は分からないでもありません。彼らは伝統的にロシアとの結びつきが深かった。ところがウクライナは、年を経るごとに西欧との関係を重視していく。“自分たちは見捨てられるのではないか”、“自分たちもロシアとの関係を断たなければならないのか”と非常に心配だったと思います」(同・ジャーナリスト)

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