顔面をボコボコ、オープン戦で大乱闘…日本球界を恐怖に陥れた「狂暴助っ人列伝」

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“名刺代わり”にパンチ2発

 オープン戦も間近となり、新外国人選手の動向も話題を集めている。近年は真面目で紳士的な助っ人が大半を占めるが、かつては、持ち前の気性の激しさから、暴れん坊として名を馳せた助っ人も多く存在した。【久保田龍雄/ライター】

 来日1年目にシーズン最多の退場3回(当時)を記録したのが、南海時代のトニー・バナザードである。まず“名刺代わり”となったのが、1988年5月13日のロッテ戦。5回、チームメイトのジョージ・ライトが荘勝雄から死球を受けたことにぶち切れたバナザードは、両軍ベンチ総出の大乱闘のなか、ロッテ・河原田明トレーナーの顔面にパンチを2発お見舞い。荘が一目散に逃走した腹いせに、無関係のトレーナーがとばっちりを食ったようだ。

 ロッテ側はバナザードの処分を要求したが、前田亨球審は乱闘の原因となったライトに退場を命じただけで、バナザードはお咎めなし。もし、このとき退場になっていたら、現在でも楽天時代のマーティ・ブラウン監督の4回と並ぶシーズン最多記録だった。

NPB史上初シーズン3度の退場

 来日初退場はそれから3ヵ月後の8月15日の近鉄戦。7回に前回同様、ライトが加藤哲郎から死球を受けると、バナザードは「仲間がやられるのを黙って見ていられなかった」と怒り心頭でマウンドに突進し、加藤の顔面を殴打。今度は前田球審も退場を命じた。

 さらに9月1日のロッテ戦でも、バナザードは一ゴロに打ち取られた際に、ベースカバーに入った荘に暴言を浴びせたことをきっかけに、ロッテ・木樽正明コーチと殴り合いになり、2人揃って退場処分を受ける。

 そして同23日の西武戦、1点を追う8回2死二塁のチャンスにカウント1-1から渡辺久信の高めカーブをストライクに取られたバナザードは、牧野伸球審に激しく抗議した結果、わずか1ヵ月余りの間にNPB史上初のシーズン3度の退場となった。

 同年のバナザードは、スイングした直後、すっぽ抜けたバットがマウンド付近に転がった際に、ガンを飛ばしながら、ゆっくり歩み寄って、日本ハム・武田一浩をビビらせたシーンもあり、テレビの珍プレー特集でもたびたび放映されている。

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