もっとも酷評されたのは上野樹里主演「江」…大河ドラマ「時代考証」とSNSの関係

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強い意志で史実の改変=物語化

 しかし、大河ドラマの歴史を振り返ると、髪型が違う、使っている道具が違う、身に付けている着物が違うといった細かなところではなく、ストーリーや設定自体が「史実と違う」作品も、じつは珍しくはない。

 平成6年(1994)に放送された「花の乱」(主演・三田佳子)は、室町悪府の8代将軍足利義政の妻である日野富子を主人公とする作品。主人公の富子は、母の苗子が酒呑童子に犯されて身ごもった娘(本物の富子の異父姉)だったが、本物の富子が病気で盲目となったため、幼少時に入れ替えられて富子となったという設定だった。もちろん、この設定自体はまったくのフィクションだ。ちなみに、入れかわった本物の富子は、後に「頓智の一休さん」で知られる一休の晩年の愛人、森侍者となって、社会の底辺から見る視点を物語に与える役割を担っていた。

 脚本の市川森一は、執筆前に『大日本史料』という膨大な史料集を購入して歴史の勉強に取り組んだとして話題になったので、史実を理解したうえで、あえてドラマとしての作為を持ち込んだのだろう。日野富子は、それまで一般的には「男勝り」「守銭奴」といったイメージが強かったが、本作品では出生にまつわる不幸な運命や、夫との不仲によってできた心の隙間を埋めるように政治に真摯に向き合い、長年続いた応仁の乱の終戦工作にも取り組んだアクティブで有能な女性として描かれていた。これは、明らかに戦後の歴史研究によって明らかにされてきた富子の評価を反映した表現だ。

 だが、応仁の乱で一方の大将だった細川勝元が、長く続いた戦乱に世の無常を悟り、出家遁世してしまうという、これまた史実とはまったく異なる展開も見られた。ちなみに実際の勝元は応仁の乱の終結を見ることなく病死している(暗殺されたとの説もある)。物語の主要な登場人物について、史実をあからさまに改変してしまうのは、物語の演出上の作為とはいえ、実在の人物の人生を改変してしまうことにもなるので、批判されるリスクもある。「花の乱」についていえば、史実を理解したうえで、それでも「この物語はこうしたい」という強い意志をもって史実の改変=物語化をしたのであろう。

史実では二人とも病死

 もう一つ、平成13年(2001)の「北条時宗」(主演・和泉元彌)も、こうした史実の改変が随所に見られた。主人公の北条時宗は、鎌倉幕府の執権としてモンゴル襲来という歴史的な出来事に向き合った人物だ。父の時頼は病死したのだが、この作品では何者かに暗殺されたという設定になっていた。鎌倉幕府の4代、5代の将軍は、ともに公家の九条家の出身だが、二人そろって時頼の放った刺客に暗殺されてしまう。しかし、史実では二人とも病死であることは明らかだ。

 主人公の時宗には、父時頼が側室に産ませた兄時輔がいた。時輔は二月騒動と呼ばれる北条一族の内紛で討伐されたのだが、「北条時宗」ではなぜか生き延び、海を越えてモンゴルに渡るという奇想天外な筋立てになっている。時輔はモンゴルによる日本進攻・元寇を手助けするが、その真意は、日本とモンゴルとの和解を図ることだったことが、物語の終盤で明かされる。そして、和解を果たした弟時宗の最期を看取った時輔は、いずことも知れぬ外国へと旅だって行くという、まったく誰も予想し得ない結末だった。

 兄の時輔をモンゴルに派遣したのは、「元寇」という歴史的大事件を描くにあたり、一方の当事者であるモンゴルの内情を、主人公時宗の物語と乖離せずに視聴者に伝えるための演出だったのだろう。時輔は、モンゴルとの間をつなぐキャラクターとして活用されたわけだが、正直なところ、あまりに設定が突飛すぎて、いま考えると物語のリアリティを損なってしまったように感じる。この「北条時宗」、ほかにも病死とされている同時代の人物を片っ端から何らかの理由で暗殺されたり自殺したりというストーリーにしていて、物語を劇的にするための演出とはいえ、いくら何でもやりすぎの感がある。

 しかし、「花の乱」にしても「北条時宗」にしても、放送当時はそこまで批判の声が高まることはなかった。時代考証がなっていないといった批判は、それほど大きな声にはなっていなかったのだ。

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