雅子さまが皇太子さまに出会う直前、「注目のキャリア官僚」として撮影に応じた貴重写真一挙公開

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注目の「新人キャリア官僚」として登場

 今から約30年前の1993年2月9日、一人の外務省キャリア官僚が退職のあいさつに現れた。

 その官僚の名は小和田雅子さん――いうまでもなく、現在の雅子皇后である。その前月、皇太子妃に内定したことを受けて退職しており、この日はあくまでも退職のあいさつのための訪問だった。

 将来の皇太子妃の動向ゆえに、当然、この件は新聞やテレビでも報じられている。また、雅子さまは、すでにこの何年も前から何度となく「お妃候補」として取りざたされてきたため、マスコミから直撃取材を受けることも珍しくなかった。

 ただ、実は雅子さまは外務省入省前から一部では注目の存在だった。

 1986年、入省前の雅子さまへの取材記事を掲載していたのは写真週刊誌「FOCUS」(休刊中)。この段階で編集部が「将来のお妃候補」と目をつけていたのなら大変な先見性だが、決してそうではない。すごい経歴の持ち主の新人官僚が誕生した、という趣旨の記事である。

 ちなみに当時は、大蔵省や外務省などの新人官僚の素顔を伝える記事が同誌に限らず掲載されることがあった。それだけ「キャリア官僚」への注目度が高かった時代だった、ともいえるだろう。

 そんな時代だけに、この時の記事は写真を見れば一目瞭然、隠し撮りやアポ無しの直撃取材に基づくものではなく、完全にご本人同意のうえでのインタビューがベースとなっている。撮影場所は目黒の自宅だ。

 記事のタイトルは

「外交官に『清原級』ルーキー ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠」

「清原級」という表現に違和感をおぼえる方もいるかもしれないが、これは1986年当時においては最高級の誉め言葉だった。この年、ルーキーとしては異例の成績を清原和博選手は残していたのだ。

 まだ皇太子さま(現天皇陛下)と出会う前、雅子さまの素顔がうかがえる貴重な記事を抜粋・引用してみよう。(以下、引用は「FOCUS」1986年10月17日号より)

 記事では冒頭、雅子さま(当時22歳)をこう表現している。

「はっきり言ってこの人、完全無欠のスーパーウーマン」

 そのうえで生い立ちについての解説が続く。

 父・恒氏は「外交官で、ソ連公使をつとめた後、一昨年から本省の条約局長に。国際法の研究者としても有名で、ハーバード大学に講師として派遣されたこともある」。

 記事は雅子さま自身の経歴に触れながら、完全無欠たるゆえんを説明する。

「7歳までにモスクワ、ニューヨークでの生活を体験。日本で田園調布雙葉に通った後、高1で再び渡米、大学は父君とも縁があるハーバードの経済学部を選んだ。ここで優等賞に輝いた彼女は、IMF、国連、世界銀行等の仕事も考えたが、母国のために働きたくて外交官志望に決定。法律の勉強のため、今年4月、東大法学部に学士入学したのだけれど、2カ月後の外交官試験にアッサリ受かってしまった。英語はペラペラ、独仏語も日常会話はOK」

好きなのは高田選手、守備位置はサード

「雙葉の中学時代には、当時巨人の高田選手に憧れ、仲間とソフトボール部を創部、サードでクリーンアップを打ち世田谷区の大会で優勝。テニスも田園コロシアムのスクール仕込み。スキーもバッジテスト1級位の実力だとか。

 他方、おばあさまのご指導で書も達者。外国時代はお母さまとホームパーティーを切り盛りしていたので、お料理も上手。ともかくすごいレディーなんである」

 料理も上手、と聞いて記者とカメラマンは「ぜひ料理姿も」と迫ったに違いない。そしてまだメディア対応にまったく慣れていなかった雅子さまは断れなかったのだろう。フライパン片手の撮影にも応じている。

 どちらかといえば皮肉な論調が多かった同誌も、これだけの相手にはケチのつけようがなかったのだろう。好意的なトーンで統一された記事は「外交官」としての将来に触れたうえで、ご本人と父・恒氏のコメントで締めくくられる。

「意外なことに、日本の大学卒業者ではない外交官は、彼女でたった2人目。通常、外交官のタマゴたちは、国内での研修のあと各国に留学するが、小和田さんの場合は、その必要も無い位だ。首相からして摩擦発言をする『海外オンチ国家』日本にとっては、まことに頼もしい清原級のルーキーかもしれない。

 だが女性の外交官はツライ。出世は平等だが、昭和32年入省組以来15人の女性外交官のうち、結婚したのは3人だけ。結婚しても、無職の夫でもない限り、一緒の赴任はほぼ無理。

『私は一人でバリバリやるタイプじゃないし、精神的にも弱いので家庭はほしい』

 とその辺は弱気な彼女。

 学者への道を期待していたらしい父君は、

『強制はできないが、こんな人生で良かったと思えるようになってほしい』

 と少々複雑なご心境のようだ」

 この号が発売された翌週、雅子さまはスペインの王女歓迎レセプションに出席。これが皇太子さまと初めて出会った場だと伝えられている。

 その後の経緯については改めて触れる必要はないだろう。皇室外交において天皇陛下と共に雅子皇后が大きな存在感を示し続けているのは言うまでもない。

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