元公安警察官は見た 日本共産党に壊滅的な打撃を与えた特高警察の「スパイM」の正体

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非合法政党時代を払拭

「ところが、彼は熱海で一緒に検挙されたはずなのに、公判などで名前が出てこないことを不審に思った党員たちは、彼が警察のスパイだと考えるようになりました」

 すると、共産党は、飯塚が赤色ギャング事件の首謀者だと主張し始めた。

「実際はそうではありません。強盗計画を立案したのは、後に建築家となる共産党員の今泉善一という男でした。熱海事件で飯塚がスパイだと判明したため、彼に全ての罪を被せようとしたわけですね」

 熱海事件で、幹部が軒並み逮捕され、壊滅的大打撃を受けた共産党は、飯塚に恨みを抱いたことは言うまでもない。

「飯塚がどこに潜伏しているのか、共産党はその後徹底的に調査したようです」

 熱海事件から44年後となる1976年10月28日、熱海事件で検挙されていた共産党の紺野与次郎衆議院議員が国会で公明党議員に「反共のイヌ、イヌがほえている」と発言、懲罰委員会にかけられた。その時、彼は飯塚についてこう発言している。

《特高首脳部は、スパイ飯塚盈延に大金を与えて姿をくらませ、その後、飯塚は終生、社会からの逃亡者としての生活を行い、待合に隠れ、北海道と満州を往復し、終戦後偽名で帰国して以来本籍を隠し、偽名を使い続け、元特高らに消されることを恐れ、一室に閉じこもり、昭和四十年酒におぼれて逃亡者としての悲惨な生涯を終えています。しかし、生地の本籍上の飯塚盈延はいまでも生きていることになっています》

「共産党が非合法政党だった頃の悪名を払拭するために、紺野議員は国会でこんな発言をしたのでしょう。ただ、今でも共産党は、警視庁公安総務課や各道府県警公安部の監視対象になっています。過去の悪事は、そう簡単には消えるものではありません」

勝丸円覚
1990年代半ばに警視庁に入庁。2000年代初めに公安に配属されてから公安・外事畑を歩む。数年間外国の日本大使館にも勤務した経験を持ち数年前に退職。現在はセキュリティコンサルタントとして国内外で活躍中。「元公安警察 勝丸事務所のHP」https://katsumaru-office.tokyo/

デイリー新潮編集部

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