帰省自粛を行うなら未来永劫訴え続けるべき 冬に感染症が流行するリスクはコロナ以前から存在(古市憲寿)

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 冬には人が死ぬ。

 もちろん人間は365日いつ死んでもおかしくないのだが、統計的には冬場の死者が圧倒的に多い。病気による死者は1月をピークに冬に集中している。さらに家庭内の事故も増える。寒暖差があるため、ヒートショックの危険性が高まり、風呂場で転倒したり、溺死する人が増加するのだ。

 2019年の人口動態統計によれば、1月は死亡者が14万人を超えているのに対して、6月は約10万人にとどまる。この傾向は今に始まったことではない。戦前の「日本帝國人口動態統計」を見ても、呼吸器系の病気など死者数は冬場に集中する。

 というか、人類が共同体で定住を始めてから、冬は危険だった。感染症が流行しやすい上に、食料不足で飢餓に陥る可能性もあった。ヒートテックも床暖房もない時代、寒さそのものも大きなリスクだっただろう。戦国時代の埋葬記録でも、毎年冬から春にかけて死者の増加が確認されている(黒田基樹『百姓から見た戦国大名』)。

 つまり人間にとって、寒い冬は危険なのである。

 もしもこの原稿を3年前に書いていたら、一笑に付されていただろう。「そんなことは誰でも知っている」「あたりまえポエムか」と馬鹿にされたと思う。わざわざ勿体ぶって「今年は人類にとって初めての西暦2022年です」と宣言するようなものである。

 だが、その当たり前の事実を、日本の人々は忘れつつある。2021年から2022年にかけての年末年始は、前年に引き続き、帰省の見直しが呼びかけられた。理由はコロナである。

 理屈としてはわかる。親戚の集まりなど、若い世代が高齢者と会することで、ウイルスが広がりかねない。高齢者ほど重症化や死亡のリスクが高いから、日常的に会っていない人との面会はできれば控えてほしい、というわけだ。

 だが帰省のリスクは、コロナの流行前から存在した。たとえばインフルエンザの流行は他の病気同様に1月にピークを迎えるが、帰省の影響もあったはずだ。都会の活動的な若者が無症状で感染し、田舎に帰った時にウイルスをうつすという現象は、何もコロナで始まったわけではない。

 人類が共同体を営んで生活をする以上、少なくとも当面の間、感染症を根絶することは不可能だ。そして気候を変えるテクノロジーでも開発しない限り、冬場は危険であり続けるだろう(その意味で、地球温暖化の議論をする時は、気候が温暖になる利点にも目を向けないとフェアではない)。

 もし帰省の自粛を呼びかけるならば、去年や今年だけではなく、永劫訴え続けるべきだ。危険な1月ではなく、年度の替わる4月あたりに帰省をしてもらった方が、感染拡大の危険性はぐっと減るのではないか。そのためには、初詣や紅白歌合戦を4月にずらしたり、日本社会の風習をがらっと作り替える必要がある。簡単にはいかないと思うが、帰省の自粛を呼びかけた人は、責任をもってその大仕事に取り組んでほしい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年1月27日号掲載

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