まもなく丸2年のコロナ禍 感染者数報道がもたらした“数値過敏症”という病 評論家・與那覇 潤

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数値化の困難を「脅し」で突破しようとする試み

 しかしこれが行き過ぎると、人は逆にお金を使えなくなるんです。たとえば予算1万円でいい服を見つけたとしても、そこで買わずに我慢すれば、同じ1万円分で「趣味のグッズが買えるかも」「コンサートに行けるかも」……と、他の選択肢がチラついちゃう。

 お金がすべてのものに換えられる以上、定義からして「他の選択肢」は無限大なんですね。結果として、なにを手に入れても「これがベストチョイスだ。今日はいい買い物をした」という満足感が得られなくなり、ますます「せめて1円でも安く買おう」といった数値上の競争に巻き込まれてゆくことになります。

 平成の最後に第2次安倍政権がリフレ政策(アベノミクス)を掲げ、「これからはインフレになるんだ」と唱える形で国民に消費させようとしました。あれはこうした数値化に伴う困難を、「脅し」で突破しようとする試みだったといえます。

 インフレとは端的に、持っているお金の価値が目減りしてゆく現象ですから。だから「一刻も早く使わないと、損しますよ」という雰囲気を作って、迷ってないで何でもいいから買えという話だったわけです。

 リフレ政策は想定ほどには機能しませんでしたが、困ったことに令和の現在、脱炭素運動の影響からエネルギー価格が急騰し、欧米を中心に本当にインフレが起きています。結果として、ますます「数値で不安にさせて、言うことを聞かせる」風潮が日本でも広まりかねないのは心配です。

深まった孤独

 コロナ以前からずっと続いてきた、不安で人を動かす社会の末路が、目下の「一億総コロナうつ病」状態でした。私たちがそこから立ち直るには、逆に「安心で人を動かす社会」の実現が欠かせません。

 第一歩はまず、「どうしても数字が気になり、いつしか依存してしまう」生き方自体が、強い不安にさらされたがゆえの「症状」であると気づくことです。

 たとえば本当に私生活が充実しているとき、人は「俺には友達が何人いるか」なんて逐一数えません。ついつい数えてしまうのは、「自分は嫌われているのでは」「魅力のない人間なんじゃないか」といった不安にとりつかれ、孤独感の虜になっているときですね。

 逆にいうとSNSでフォロワーや「いいね」の数を気にかけ、「アイツよりは多くないと」と競う人が増えたのは、それだけ孤独が深まったからですよ。人間関係を「数値」にして可視化したことで、かえって症状が悪化しているわけです。

 数字を気にかけなくても、「まぁなんとかやっていけてるじゃないの」という状態が、はじめて安心感を作る。数値化とは本来、その状態に達するための補助具――たとえば「俺にだって〇人はフォロワーがいるじゃないか」といったものでなくてはいけない。

 私はうつで入院した時、作業療法室で料理が得意な人とよくケーキを焼きました。あまりに美味しいので驚いたら、「お菓子類はレシピの分量が決まっているから、きっちり守れば必ず上手に作れますよ」と教わった。そうした状態を経て、次第にいろんな調理ができるようになっていきました。

 数値にこだわる営みは、あくまでも「不安から安心へ」の過渡期にのみ行われる対症療法、リハビリ療法として捉えるべきなんですね。ゼロコロナ幻想とともに数値化信仰の破局を見たいま、私たちは発想を転換してゆく時だと思います。

與那覇 潤(よなはじゅん)
評論家。1979年生まれ。学者時代の専門は日本近代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験をつづった『知性は死なない』が話題となる。精神科医・斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』で小林秀雄賞受賞。

週刊新潮 2022年1月20日号掲載

特集「コロナ禍2年 『数値過敏症』は『1億総うつ病』への道だ」より

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