まもなく丸2年のコロナ禍 感染者数報道がもたらした“数値過敏症”という病 評論家・與那覇 潤

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罪業妄想が全国民に広がった

 実はうつ病の症状には、「罪業妄想」というものもあります。なんで自分はこんな病気になったんだと考えるうちに、「きっとひどい罪を犯して、この病気はそれに対する罰なんだ」と患者さん自身が思い込んでしまう。あきらかに本人は悪くないことまで、自分の責任では、法を犯したのでは、ハラスメントをしたのでは……と自分を追い込み、疑心暗鬼になってゆく。

 普通の病気だったら、「熱があったのに無理して出席したことで、他の人にうつしてしまったかもしれない。申し訳ない」くらいでしょう。ところがコロナでは、「無症状でもうつすかもしれない」と医療関係者があおり、「クラスターが発生した」と報じられるのを恐れる諸施設がばたばたと自粛を選んでいきました。

 本来ならうつの最中の人が苦しむような罪業妄想を、全国民に広げてしまったともいえます。その帰結として、「このくらいなら問題なかろう」といった自らの感覚を多くの人が見失い、独り歩きした数値目標に従わない限りどこまでも叩かれる、一種の無限責任社会が生まれてしまいました。

社会全体のうつ病化

 ワクチンの普及や治療薬の開発の進展を考えると、コロナの流行自体の終息は遠くないと私は見ています。しかし、社会全体のうつ病化に伴う「数値依存症」は、そう簡単には終わりません。後者こそが、ポストコロナにも引き継がれる最大の課題となってゆくでしょう。

 たとえば私たちはいま、「支給額(の数値)が同じである」という形でしか、社会的な平等や公正さを捉えられなくなっている。これって、まずいことだと思いませんか?

 分水嶺となったのは、2020年春のコロナ第1波の際に当時の安倍晋三政権が打ち出した、「国民全員への一律10万円給付」です。社会パニックの中でこれが実現したため、そこから後はどんな支援プランを政治家が提案しても、「俺はもらえないから平等じゃない。全員一律に配れ」という非難にさらされる状態が続いています。

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