東尾修の“大乱闘”に涌井秀章の“報復死球” 球史に残るデッドボール大騒動

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“ケンカ投法”で知られた東尾

 日本のプロ野球界で通算与死球が多い投手は誰か? 上位5傑は、1位が東尾修(西武)の165、2位が渡辺秀武(巨人、広島など)の144、3位が坂井勝二(ロッテなど)と米田哲也(阪急など)の143、5位が仁科時成(ロッテ)の142である。【久保田龍雄/ライター】

 25歳でプロ入りした仁科の実働12年を除くと、いずれも実働年数18年以上で、内角を厳しく攻めつづけた結果、現役生活の長さに比例して死球の数も増えていることがわかる。また、5人中、渡辺、坂井、仁科の3人が横手投げで、横手特有のシュート回転のボールが抜けた場合、死球になりやすいという事実を裏付けている。

 内角をえぐるシュートが武器の“ケンカ投法”で知られた東尾は、1985年6月23日の近鉄戦の初回、デービスに通算145個目の死球を与え、歴代単独トップになった。

 この日1対0の完封で開幕から無傷の10連勝となった東尾は、不名誉なオマケとも言うべき日本記録更新については、「(デービスは)逃げ方もヘタなんだ」といった感想程度で多くを語らなかったが、両者は皮肉にも翌86年に再び死球をめぐってクローズアップされる。

5発のパンチで大暴れ

 6月13日の近鉄戦、6回1死、東尾はデービスに対し、カウント1-2から内角高めにシュートを投じたが、打ちに行こうとしたデービスは避けきれず、右肘に当たった。

 直後、デービスは怒りの形相でマウンドに向かうと、東尾に計5発のパンチを浴びせるなど大暴れの末、退場処分になった(その後、10日間の出場停止処分を受ける)。

 五十嵐洋一球審は「向かっていくほどの死球には見えなかった」と証言し、東尾も「どっちが悪いかは、新聞記者の人が見てわかるはず」と故意ではなかったことを強調したが、デービスは「東尾のようなコントロールのいい投手が、ああいうところへ投げるのは故意としか考えられない」と非難した。

 さらに直接関係のない阪急・上田利治監督までが「危険な投球をされたら、それ相応のことはやって当然ですよ」と“口撃”したことが、東尾の闘志に火をつける。

 6月22日の阪急戦、「いいか、見とけ」と上田監督を見返す覚悟で先発した東尾は、内角球をふだんの半分に減らし、シュートもわずか3球という外角主体の投球に徹する。打者をのけぞらせるような球は、もちろん1球もない。だが、阪急の各打者は「今度こそ内角球が来る」と意識するあまり踏み込むことができず、いたずらに凡打の山を築いた。

 失点はブーマーの2ランのみの5対2で意地の完投勝利を収めた東尾は言った。「あれがオレのピッチングだ」。通算与死球数こそ歴代トップだが、与死球率0.36は、5人の中では米田の0.25に次いで低い(トップは仁科の0.70)。

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