悠仁さまが「即位拒否」の懸念も 「小室問題」であらわになった「教育係の不在」と「晒される皇室」

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“高等遊民”と批判されることも

 佳子さまは昨年5月から一般財団法人「全日本ろうあ連盟」の非常勤嘱託職員として勤務され、また眞子さんの結婚に伴い「日本テニス協会」の名誉総裁職を引き継いでおられる。宮内庁担当記者が言う。

「大学を出られた後、進学も就職もなさらない佳子さまに対し、19年夏の皇嗣職の会見では、若い年代の複数の女性記者から“佳子さまは普段何をされているのか。大卒の同級生は今、社会に出て一番忙しい時なのに”などと、疑問が投げ掛けられたこともありました。お好きなダンスは続けられながらもご公務でのお姿が目立たず、“高等遊民”などと批判めいた呼び方をされることもあったのです」

 その後、コロナ禍に見舞われたとはいえ、

「やはりご公務の少なさは否めません。テニス協会の名誉総裁を引き継がれることが決まった昨年秋にも、皇嗣職の会見では“どういう理由で決まったのか”“テニスの経験はおありか”等々、関わりを訝るような質問が出ていました」

「私とお姉さんは選んでいない」

 先だってのご公務では、眞子さんから譲り受けられたスーツをお召しになって臨まれた佳子さま。姉妹のお立場は変われど“心の絆”は盤石のようにうかがえ、となればこの先、眞子さんに倣って“私”を押し出され、秋篠宮さまの言われた「類例を見ない結婚」が繰り返されないとも限らないのだ。

 秋篠宮家の事情を知る関係者が明かす。

「佳子さまは多感であられるゆえ、紀子妃殿下のご苦言に対し『お母さんはいいわよ。お父さんを好きになってここ(皇室)に来たのだから。でも私とお姉さんは選んでいない。生まれた時からここだった』と悲憤し、激しく言い返されたこともありました」

 振り返れば、かつて秋篠宮さまは、周囲から紀子妃との結婚を反対され「皇籍離脱」を口にされた、と報じられたことがあった。時あたかも1989年の婚約内定前後で、その後に皇太子さま(当時)が会見で“発言”を打ち消される一幕もあったとはいえ、思いを貫いた秋篠宮さまは自由恋愛の末、昭和天皇の喪中に婚約発表という「イレギュラー婚」を実現されたのである。

 あるいは眞子さんや佳子さまも、これらの“経緯”をご存じであるかもしれず、となればなおのこと、ご両親の説得に耳を貸されるはずもなかろう。

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