「ネガティブを強みに」 競泳金メダル・大橋悠依が語る“非エリート”の逆転法

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「やっぱりメダルが欲しい」

〈大橋選手はこれまでに“どん底”を2度経験したと語る。最初の挫折は東洋大学進学からまもない頃。当時の彼女は極度の貧血に悩まされていた。北島康介を指導した同大の平井伯昌(のりまさ)監督(東京五輪競泳日本代表ヘッドコーチ)から期待を懸けられながら、2年次に臨んだ日本選手権では最下位の40位に甘んじた。もうひとつは19年の世界選手権だ。東京五輪の前哨戦とされる重要な大会で、彼女は泳法違反により失格となってしまったのだ。〉

 振り返れば本当に辛いことや苦しいことがたくさんありました。水泳をやめたいと思ったことも一度や二度ではありません。

 それこそ、東京五輪直前の21年7月もタイムが振るわない状態で、長野県の高地トレーニング施設での合宿中に、平井コーチから「挑戦をやめてもいいんだぞ」と言われました。4個メ(400メートル個人メドレー)での出場を断念して、2個メ(200メートル個人メドレー)に専念してはどうかということです。

 そのときは、東洋大水泳部時代の同期で、私が貧血に悩まされていた頃から、いつも励まし続けてくれた岡田真祐子さんに不安な気持ちを打ち明けました。4個メを辞退しようか思案していた私に、彼女は、

「2個メに絞ってもいいと思うよ。でも、泳ぐのは悠依なんだから、自分自身でどうしたいか決めるのが悠依のためだと思う」

 と、私の愚痴まじりの相談を受け流すことも、否定することもなく、そっと背中を支えてくれたんです。

 彼女の率直な助言を聞いて自分の考えが整理できました。「やっぱりメダルが欲しい。それなら400の方がチャンスはあるし、挑戦したいな」って。

 もちろん、「メダルを獲れなかったらどうなってしまうんだろう」という弱気な部分も残っていました。それでも、最後の最後は、「4年に1度の特別な舞台で、納得のいく泳ぎをしたい」という思いが勝ったんです。

 これまで水泳を続けるなかで経験した喜びや苦悩、絶望的な気持ちを振り返って、それら全てに意味があったんだと実感したい。何としても報われたい。そのためには東京五輪で納得のいく結果を残すしかないな、と。本番直前まで自分にそう言い聞かせてきました。

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