千葉真一を国民的スターにした「キイハンター」秘話 俳優・谷 隼人×女優・大川栄子

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東日本大震災の慰問に訪れたときに……

――「キイハンター」の出演はその後のキャリアに、影響しましたか。

大川 谷君は、その後の番組にも出たのよね?

 丹波さん、近藤プロデューサー、深作監督のチームでつくった、次の「アイフル大作戦」、そして「バーディー大作戦」も出ました。ただ、その次の「Gメン’75 」には出演していません。同じTBSの「寺内貫太郎一家2」の撮影と重なり、丹波さんにお話しして納得していただきました。

大川 私は「アイフル大作戦」のハワイロケにゲストで呼んでいただきました。

 ハワイからロサンゼルスに遊びに行ったよね。

大川 谷君のアテンドでディズニーランドへ行ったり、ブランドショップへ行ったり。羽田に戻ったら、東映撮影所の所長さんが迎えに来ていて、すごく怒られた。「結婚前の女優は男優と遊びに行くな!」と。

 「キイハンター」の仲間は家族みたいな関係だから、気にしなかったんだ。

大川 自分たちが感じていたよりも注目される存在だったのかもしれない。でも、人気番組に出演したことで、CMをはじめずっと仕事をいただけました。

 お金が入って、若いのに銀座で遊ぶような勘違いもやっちゃったけれど。

大川 サスペンス調でスタートした「キイハンター」だけど、途中からはウエスタンのような回があったり、コメディタッチがあったり。だから、役のバリエーションも増えました。

 「キイハンター」をやってよかったと心から思ったのは、東日本大震災のとき。震災後に南三陸を慰問で訪れたものの、被災したかたに喜んでいただけることが何もなくて。苦し紛れに「僕は昔、『キイハンター』に出ていました」と言ってアカペラで「非情のライセンス」を歌ったら、年配層にすごく喜ばれた。50歳以上の方々はみんな見てくれていたから。島竜彦をやらせてもらったおかげです。(構成・神舘和典)

大川栄子(おおかわえいこ)
女優。1947年福岡県生まれ。1963年高倉健主演映画「恐喝」でデビュー。成城大学在学中に「キイハンター」にて記憶の天才・谷口ユミとしてコミカルな美女役で出演し人気を得る。74年俳優の河原崎建三と結婚。テレビ・映画・講演を中心に活動。

谷 隼人(たにはやと)
俳優。1946年鹿児島県生まれ。1966年「非行少女ヨーコ」で緑魔子の相手役として主役デビュー。以降、東映映画「網走番外地シリーズ」などに出演。「キイハンター」に出演して一躍スターに。後に女優の松岡きっこと結婚。「風雲たけし城」の隊長役としても知られる。

週刊新潮 2021年12月30日・2022年1月6日号掲載

追悼対談「俳優 谷隼人 ×女優 大川栄子 コロナに斃れた“稀代のアクション俳優”『千葉真一』を国民的スターにした『キイハンター』秘話」より

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