「大屋政子」の毀誉褒貶 資産は300億円、“おとうちゃん”が再生した帝人の手のひら返し

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「4回ほど自殺を図ろうとした」

 翌年、このゴルフ場が多額の簿外債務を抱えていたことが発覚。その額なんと100億円。政子は負債を返済するためにゴルフ場のほかマンションや保有株式を次々と売らざるを得なくなる。

 冒頭に紹介した「pink」のインタビューで、政子はこう語る。

《日本は男性社会。いじめられていじめられてな。男の人だけやないよ。女の人にも足を引っ張られて。1959年に一度会社の乗っ取りが来たんや。それはある人に頼んで助かったんやけど、そのときも自殺しようと思ったな。昼間はニコニコ応じてたけど、夜ひとりになって、枕ビチャビチャや、涙があふれてきて悔しゅうて。悲しいんじゃなくて悔しいんや。おとうちゃん死にはってからも4回ほど自殺図ろうとした。生きてるときはペコペコしてたのに、手のひら返して裏切った社員がいてな。何十億もの借金を私にオッかぶせたんよ》

 政子は1999(平成11)年1月16日、78歳で亡くなった。彼女の死後、総額300億円と評されていた遺産が、大豪邸と株式など数億円に目減りしていたことが判明した。

 その大豪邸も解体され、現在は老人ホームとなっている。この老人ホームは政子の遺志を継いだ娘が建てたものだという。

大屋晋三の呪縛からの脱却

 晋三の死後、歴代社長は“帝人の帝王”といわれた大屋晋三の呪縛から脱却することに力を注いだ。

「死ぬまで辞めない」と豪語した晋三の社長在任期間は26年に及んだ。事業計画は場当たり的のものばかりだった。結局、医薬品事業以外の多角化はことごとく失敗した。大屋の死後、帝人は50以上の事業の後始末に追われた。

 晋三の晩年は、政子の言いなりだったという。

「ノーと言える社内風土をつくろう」

 大屋から4代後の社長・安居祥策(社長在任1997年6月~2001年11月)が、就任直後に社内で発した第一声がこれである。

 50以上の事業の後始末に追われる渦中に安居は投げ込まれた。

 安居の任務は膨張しすぎた海外事業の整理だった。「片をつけても虚しさだけが残る仕事だった」と、後年、安居は語っている。

 縮小均衡路線を余儀なくされた帝人の社内を民僚(民間企業で官僚のようなビヘイビアを取る人)が闊歩(かっぽ)した。

 少し脱線することを許していただきたい。民僚の代表は経団連の事務局を取り仕切る連中である。彼等が現代の民僚の代表選手といっていいだろう。

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