古葉竹識さんの鬼と仏 広島OBは「衣笠祥雄、山本浩二以外はみな蹴られたんじゃないか」【2021年墓碑銘】

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起用法に野村監督の影響

 その象徴が高橋慶彦選手である。投手から野手に転向させ、足の速さを見抜いてスイッチヒッターとして育成した。安仁屋さんも水沼さんも、そうした起用法に野村さんの影響をみる。

 85年に広島を勇退後、87年から横浜大洋ホエールズ(現DeNA)の監督になるが、晩年はアマチュア野球に力を注ぐ。隆明さんによれば、少年軟式野球国際交流協会の理事長に就任したのも、2004年の参議院選挙に出馬したのも、陰り気味の野球人気を再興させるためだったという。

 最晩年は東京国際大学野球部監督として指揮を執った。08年に就任すると、わずか4年でリーグ戦を初制覇し、大学選手権でも4強に。隆明さんはこう言う。

「大部分の選手は就職します。時間を守れとか常識的なことしか言いませんが、部員が就職した会社から、野球部の後輩を来年も欲しいと言われると試合に勝つよりも嬉しそうでした」

 安仁屋さんが今年春に古葉さんと話したとき、今年の広島カープOB会、来年3月のOB戦にも「絶対に行く」と答えていた。11月に体調を崩し入院したときも、心臓の調子を整えて1週間ほどで帰ってくる予定だった。だが亡くなる前日、隆明さんが病室に電話をすると、「お母さんによろしくね」。これが最期の言葉になった。11月12日、心不全のため逝去。享年85。知将がまた一人いなくなった。

デイリー新潮編集部

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