カムイ伝の「白土三平さん」 納得できなければ描かない、自分にも厳しい人だった【2021年墓碑銘】

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

学生運動家に語り継がれた言葉

「忍者武芸帳」、カムイ伝シリーズなど不朽の名作を世に送り出した白土三平さん。自然の観察力にも長け、膨大な資料を読み込んで作品を描いた。研究熱心で博学だったという白土さんを偲ぶ。

 ***

 白土三平さん(本名・岡本登)が、1959年から62年にかけて描いた「忍者武芸帳」は、読者の心を揺さぶり、当時の社会にも大きな影響を与えた漫画だ。

 舞台は戦国時代。農民一揆を指導する忍者・影丸が主人公で、仇討ち、大名の覇権争い、忍者の世界などが複雑に織り成す壮大な物語である。死の描き方は凄惨だった。手足は斬り落とされ首は飛び、死屍累々。

 単に残酷を描いたのではなかった。たとえ正義でも力が足りなければ負けてしまう現実を示す一方、武士や農民という身分差のない日が来るまで一揆を起こして戦い続け、何度敗れても目的に進む姿を描いた。

 影丸が斃(たお)れる前に遺した「われらは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ」との言葉が学生運動家に語り継がれたほど、作品は強い共感を集めた。

 漫画にも造詣の深い評論家の呉智英さんは言う。

「唯物史観漫画と呼ばれましたが、これは表層的な見方です。多くの登場人物が丁寧に描き分けられ、どのひとりをとっても主人公になりうるほどの魅力がある超一級の作品です」

差別や迫害と闘う雄大な群像劇

 32年、東京生まれ。父親の岡本唐貴さんはプロレタリア画家で、戦時中たびたび拷問を受けた。白土さんは家計を助けるため、戦後、紙芝居の創作をはじめ、57年に貸本漫画でデビュー。ほどなく「忍者武芸帳」で絶大な支持を集めた。

「同時期に少年忍者の成長を題材に「サスケ」のような人気作も描いた。自然の観察力にも長け、忍法には薬草などの知識も活かされていた」(呉さん)

 64年、月刊漫画誌「ガロ」で「カムイ伝」の連載開始。「ガロ」の編集長は長井勝一さんだが、創刊の資金を出したのは白土さんだった。

「ガロ」が輩出した漫画家は、つげ義春さんや蛭子能収さん、杉浦日向子さんなど枚挙にいとまがない。

 漫画・映画評論家の小野耕世さんは振り返る。

「『カムイ伝』を自由に描ける場を『ガロ』に求めた白土さんですが、同時に大手の出版社では取り上げにくい作品や新しい才能を世に出した意義も大きい」

「カムイ伝」は、江戸時代初期が舞台。忍者であるカムイ、農民、武士という3人の若者を中心に、差別や迫害と闘う雄大な群像劇だ。全3部作が構想され、第1部は71年まで7年続いた。

「江戸時代に書かれた本にある表現から犬を操る忍薬の名称を決めていたり、膨大な資料を読み込んだ様子に驚いた。描写が緻密になる反面、物語の躍動感が弱くなった印象もあります」(呉さん)

 人間を動かす根源とは何かと考えを深める作品やカムイに焦点をあてた「カムイ外伝」を発表。そして、88年に小学館の「ビッグコミック」で「カムイ伝」第2部の連載を17年ぶりに始めると大きな話題になる。2000年まで続いた。

次ページ:「カムイ伝」第3部が期待されたが

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。