流通王・ダイエー「中内功」の罪と罰 V革作戦の立役者を追放、長男抜擢という悲劇

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 1995年1月17日午前5時46分。兵庫県・淡路島北部を震源としたマグニチュード7・3の直下型地震が発生した。阪神・淡路大震災である。(敬称略)

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 死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万3792人、全半壊家屋24万9180棟、焼失家屋7574棟、避難者31万人、停電260万戸、ガス停止86万世帯、断水130万世帯。インフラ被害は、道路7245カ所、橋梁330カ所、河川774カ所、崖崩れ347カ所。被害総額は10兆円規模に達した。

 大震災に際し、当時の村山富市内閣は対応の遅さが批判された。だが、コンビニエンスストアやスーパーを中心に、生活用品や食料品の物流網・補給体制は迅速に整備された。あれだけのカタストロフィ(突然の大変動)の中で治安が維持された理由のひとつが、これだった。

 救援作戦を指揮したのが、ダイエーの中内功だった。ノンフィクション作家の佐野眞一は『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』(日経BP社)で、阪神・淡路大震災直後の中内の行動を活写している(註:単行本で「功」の漢字は、工へんに刀)

《中内が東京・田園調布の自宅で阪神大震災の第一報に接したのは、一月十七日午前五時四十九分に流れたNHKテレビの臨時ニュースだった。朝一番のテレビニュースで、その日の売り上げに大きく影響する天気予報をみるのは、中内の創業以来の日課となっていた》

《中内はただちに、同じ敷地内に住む長男の潤(じゅん)を電話でたたき起こし、災害対策本部の設置を命じた》

《副社長の中内潤をヘッドクォーターとする災害対策本部が、東京・浜松町オフィスセンタービル十一階の販売統括本部内に設けられたのは、政府が対策本部設置を決定する三時間前の午前七時だった。同時に、三百六十名の応援部隊を、東京と福岡から神戸入りさせることが決まった》

震災の日でも開店

《応援部隊はその後、第六陣までつづき、自転車やオートバイを総動員して休業店の復旧活動にあたった》

《まだ現地からの情報が混乱していた午前八時には、ヘリコプター、フェリー、タンクローリー、トラックなど陸海空の運搬手段の確保し、現地対策本部長に専務取締役の川一男(かわ・かずお)を送り込むことを決めた》

《川を筆頭とする十人の現地対策メンバーは、おにぎりなど千食分の食料を積みこみ、午前十一時、新木場のヘリポートから神戸ポートアイランドに向かった》

《ヘリコプターには、浜松町のオフィスセンターに勤務する社員全員からかき集めた携帯電話も積みこまれた》

《出発前、中内は川に対し、ただ一言。「ダイエーは何屋なのか、それをよく考えて行動してくれ」とだけいった》

 商品の供給を続け、人々に安心してもらうことが流通に携わる者の使命――。中内は生活必需品の供給のため、地震発生当日の午前7時半には被災地に全店オープンを厳命した。兵庫県下の49店舗中、倒壊の危険のない24店舗が早朝から店を開けた。

「街の明かりを消したらあかん」

 翌日18日の午前9時には、福岡からタンクローリー2台分の飲料水やおにぎり、カセットコンロが、大阪府・泉大津港に到着し、神戸へとピストン輸送された。

 19日には、50台のトラック部隊が大阪・茨木市の食料センターで救援物資を積み込み、陸路は大渋滞していたため船でトラックを運ぶことにした。神戸港は接岸できないため、大阪南港(なんこう)から加古川経由で商品を搬送した。

 ローソンも地震発生当日午前7時半には対策本部の設置を決定し、その日の夕方には水15万ケース、ラーメン10万ケース、おにぎり30万個を、東京・名古屋・岡山から特別輸送した。ローソンは当時、ダイエーの傘下にあった。

「街の明かりを消したらあかん」

 ローソンのコンビニ事業の最高顧問も兼ねる中内は、地震当日に24時間営業の継続を指示した。閉店を余儀なくされている店も、明かりだけは終夜灯しつづけろと号令をかけた。

 真っ暗な廃墟の中で、ローソンの明かりだけはずっとついていた。この、わずかな明かりが被災者をどれだけ勇気づけたことだろう。

物流が生んだ安全

 太平洋戦争で過酷なフィリピン戦線を経験した中内は、兵站(後方支援)や物流網の整備がどれだけ大事か、身体でわかっていた。

 だからこそ流通業者の責務として、まず物流網を復活させ、適切な値段で必要なものが買えるようにした。平時と同じように、欲しい時に欲しい物が手に入るよう、安心をつくりだそうと懸命に努力したのだ。

 これが「ダイエーは何屋なのか、それをよく考えて行動してくれ」の発言の真意だった。

 知の巨人と言われた思想家の吉本隆明は、中内の行動を「現在の日本の高度な消費社会で、いちばん成功裏に消費者の動向を察知し、最も鋭敏に消費大衆の願望に対応している」と手放しで絶賛した。

《日本のマフィアという仇名(あだな)の山口組は、ただで物品を配った。「ダイエー」はそれなのに必需品を安価であっても金をとって売った。それを批判する者もあったが、商人は売るのが当然だ。それを崩してタダで配っても被災者三十万人に行きわたる力があるわけでもないし、混乱を招くことになる。また市民個人の尊厳を冒瀆し、市民社会の契約に反することで経済人としてできない。安い値段で必需品を提供し続け、便乗値上げをしないで補給しつつげることが大切だった》(吉本隆明『超資本主義』徳間書店)

 吉本のこの指摘は、中内の行動の意味を的確にとらえていた。

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